7本の鮮やかな横帯、白い三角、赤い星、そして金色の鳥。ジンバブエの国旗です。中央の三角形に描かれた金色の鳥は、ジンバブエ・バード。11〜15世紀の石造文明から発掘された伝説の鳥です。さらに、国名「ジンバブエ」自体が「石の家」を意味するという、古代の遺跡が国家のアイデンティティそのものになっている、世界でも珍しい1枚です。今回はそんなジンバブエ国旗の話です。


まずは構成のおさらい

ジンバブエ国旗は、要素が多くて少し複雑です。構成は次のとおりです。

  • 横7本の帯(上から):緑・黄・赤・黒・赤・黄・緑(鏡像対称)
  • 旗竿側:白い二等辺三角形(旗の高さに広がる)
  • 白い三角の中央:赤い五芒星
  • 赤い星の上に重ねて:金色のジンバブエ・バード

要素が多い割には、鏡像対称(緑黄赤黒赤黄緑)のおかげで、見た目はバランスよく整っています。

色とシンボルの意味は、次のとおりです。

  • :農業、ジンバブエの大地
  • :豊かな鉱物資源
  • :独立闘争で流された血
  • :アフリカ系住民
  • :平和への希望
  • 赤い星:革命と国際社会主義
  • ジンバブエ・バード:ジンバブエの遺産と古代文明

主役:ジンバブエ・バード

ジンバブエ国旗のいちばんの主役が、中央のジンバブエ・バードです。

これは大ジンバブエ遺跡から発掘された、8体のソープストーン(石鹸石)製の鳥の彫像を模したものです。大ジンバブエ遺跡は、11〜15世紀にかけて栄えたジンバブエ王国の首都跡にあたります。

ジンバブエ・バードとは

ジンバブエ・バードは、高さ約40cmの石像です。ショナ族の祖先が建造した文明の象徴であり、そのモチーフには諸説あります。神と祖先の使者とされるダルマワシ(ショナ語で「チャプングゥ(Chapungu)」)や、ショナ族の元来のトーテムとも言われるアフリカ・ウミワシ(ショナ語で「ハンウェ(Hungwe)」)など、複数の猛禽類が候補に挙がります。

何百年も前に石を彫って作られた鳥が、現代の国旗の中央にいる。これは世界の国旗のなかでも珍しい構図で、古代文明と現代国家を、ひとつの鳥が結んでいるわけです。

発掘の経緯

ジンバブエ・バードは、1871年にドイツ人冒険家カール・マウフが大ジンバブエ遺跡で最初に発見しました。

その後、19世紀末から20世紀初頭にかけて、8体の鳥の像が遺跡から発掘されましたが、多くは植民地時代にヨーロッパへ持ち出されました。ドイツのベルリン民族学博物館へ渡ったもの、南アフリカのセシル・ローズが私邸に持ち帰ったもの、イギリスへ他の遺物とともに渡ったものなどがあります。

国の至宝が、植民地時代に海外へ流出した。これはアフリカの植民地史に共通する痛みです。

独立後の返還

ジンバブエ独立後、鳥たちは少しずつ祖国に戻ってきました。南アフリカからは、独立翌年の1981年に5体が返還されました。ドイツからは、2003年にベルリン民族学博物館から「鳥の下半身(台座部分)」が返還され、ジンバブエに残っていた上半身と合体しました。現在は多くの鳥がジンバブエに戻り、グレート・ジンバブエ博物館などに展示されています。

ただし1体は今も南アフリカのケープタウン、かつてのセシル・ローズの私邸(グルート・シューア邸)に残されたままで、ジンバブエ政府は引き続き完全返還を求めています。

100年以上の旅を経て、ほとんどの鳥が祖国に戻りました。これは独立後ジンバブエの誇りであり、国家アイデンティティの回復を象徴する出来事である一方、未返還の像が「文化財返還問題」の象徴としても続いている、というのが現状です。


大ジンバブエ遺跡 ── 国名の由来

ジンバブエ・バードを語るには、それが発掘された大ジンバブエ遺跡を知る必要があります。

「石の家」── 国名の意味

「ジンバブエ(Zimbabwe)」とは、ショナ語で「Dzimba dza mabwe」、つまり「石の家」を意味します。

これは大ジンバブエ遺跡そのものを指す言葉です。11〜15世紀にかけて、巨大な石造建築群がここに築かれたことから、地域全体が「石の家=ジンバブエ」と呼ばれるようになりました。

遺跡の規模

大ジンバブエ遺跡は、総面積722ヘクタール(東京ドーム約150個分)にもおよびます。モルタルを使わず、花崗岩を積み上げて建造されました。丘の遺跡、大囲い、谷の遺跡という3つの主要エリアからなり、最盛期の人口は18,000人以上だったとされます。インド洋沿岸のスワヒリ商人と、金や象牙の貿易を行っていました。

サブサハラ・アフリカ最大の石造建築遺跡として、現在はユネスコ世界遺産に登録されています。

「黒人が作ったはずがない」論

20世紀前半、植民地時代の白人考古学者たちは、次のように主張していました。

「これほど高度な石造建築を、現地のアフリカ人が作れたはずがない」

そう考えて、「フェニキア人が建てた」「アラブ人が建てた」「ソロモン王の建造物だ」など、様々なヨーロッパ寄りの説を唱えていたのです。

しかし20世紀後半の考古学的研究で、間違いなく現地のショナ族の祖先が建造したことが確認されています。1980年の独立にあたって、ジンバブエ政府は「石の家」を国名そのものに採用しました。「この国の文明は、植民地以前から偉大だった」という宣言になったわけです。

遺跡の名前を国名にする。これは独立国の自信と誇りの表れです。


「ローデシア」から「ジンバブエ」へ

ジンバブエは、独立前は「ローデシア」と呼ばれていました。

名前の由来:セシル・ローズ

「ローデシア」という名前は、イギリスの帝国主義者セシル・ローズ(Cecil Rhodes、1853-1902)にちなんでつけられたものです。

セシル・ローズは、デビアス・アングロ・アメリカンなどダイヤモンド・鉱業財閥の創設者でした。ケープ植民地首相として、アフリカ南部の英国植民地拡大を推進し、アフリカ縦断鉄道(ケープ=カイロ)を構想した人物でもあります。カイロからケープタウンまでイギリス領を結ぶ「赤い線」計画の旗振り役でした。ジンバブエ・ザンビアを含む地域は、彼の名前を冠して「ローデシア」と呼ばれていたのです。

ローデシアの内訳

ローデシアは、いくつかの地域に分かれていました。現在のジンバブエにあたる南ローデシアは1923年から、現在のザンビアにあたる北ローデシアは1924年から、それぞれその名で呼ばれました。現在のマラウイにあたるニヤサランドは、別組織でした。

1965年、白人少数派の独立宣言

20世紀後半、ジンバブエ(当時の南ローデシア)は重大な転換点を迎えます。1965年11月11日、イアン・スミス首相率いる白人少数派政府が、英国からの一方的独立宣言(UDI)を発表しました。しかし国際社会はこれを承認せず、ジンバブエは長く国際的に孤立します。その間、1964年から1979年にかけてローデシア紛争(ブッシュ戦争)が続き、解放闘争が展開されました。

1980年、本当の独立

1979年12月、ランカスター・ハウス合意で内戦が終結します。続く1980年2月の総選挙でロバート・ムガベ率いるZANU-PFが圧勝し、1980年4月18日、ジンバブエ共和国として正式に独立しました。このとき国名・国旗・国歌がすべて一新されています。

ローデシア(植民地主義者の名前)から、ジンバブエ(古代の石の家)へ。この改名は、過去の遺産を取り戻す象徴的な行為でした。


7本帯の意味

国旗の7本の横帯は、それぞれ意味を持ちます。上下の緑は農業を、黄は黄金(金)と富を、赤は流された血を、中央の黒は黒人すなわちアフリカ系住民を表します。全体は緑黄赤黒赤黄緑の鏡像対称になっています。

実はこの色の組み合わせは、エチオピア国旗の赤黄緑に、ガーナ国旗の黒を加えた汎アフリカ色の派生です。他のアフリカ独立国と連帯しつつ、ジンバブエ独自のシンボル(バード)を加えた、という構造になっています。


ジンバブエ・バードはどうやって加わったか

国旗の中央のジンバブエ・バードは、実は最初の国旗案には入っていませんでした。

元の草案

ZANU-PF党旗をベースにした最初の国旗草案は、7本帯と白い三角、赤い星からなるもので、「鳥」はまだ入っていませんでした。

シダリック・ハーバートの提案

そこで、ローデシア時代の博物館員シダリック・ハーバート(Cedric Herbert)が、次のように提案します。

「この旗には、ジンバブエ独自の象徴が必要だ」

こうしてジンバブエ・バードの追加が提案されました。汎アフリカ色だけだと、他の独立アフリカ国と区別がつかない。ジンバブエらしさを足そう。この判断が、国旗を独自のものに変えました。

白人考古学者だったシダリック・ハーバートが、独立直前のジンバブエに、独自のシンボルを提案した。これも、複雑な植民地史の中で生まれた興味深いエピソードです。


まとめ:古代の鳥が、現代国家の旗の中心に

今回のジンバブエ国旗のまとめです。

  • 7本横帯(緑黄赤黒赤黄緑)+旗竿側の白い三角+赤い星+金色のジンバブエ・バード
  • 1980年4月18日、イギリスからの独立日に採用
  • ZANU-PF党旗をベースに、シダリック・ハーバートの提案でジンバブエ・バードを追加
  • ジンバブエ・バードは大ジンバブエ遺跡(11〜15世紀)から発掘された8体のソープストーン彫像
  • モチーフはダルマワシ(チャプングゥ)またはアフリカ・ウミワシ(ハンウェ)など、ショナ族の聖なる猛禽類(諸説あり)
  • 植民地時代に海外流出、1981年に南アから5体、2003年にドイツから1体の台座部分が返還。ただし1体は今もケープタウン(旧セシル・ローズ邸)に残り、完全返還は未達
  • 国名「ジンバブエ」はショナ語「Dzimba dza mabwe(石の家)」が起源
  • 大ジンバブエ遺跡はサブサハラ・アフリカ最大の石造遺跡で、ユネスコ世界遺産
  • 1965〜1979年はローデシア(白人少数派政府の不承認独立)、ブッシュ戦争を経て1980年に正式独立
  • 「ローデシア(セシル・ローズの名前)」から「ジンバブエ(古代文明の名前)」への改名は、過去の取り戻し

11〜15世紀の文明の象徴が、現代国旗の中央にいる。ジンバブエの旗は、国の本当のルーツを、現代の国家アイデンティティとして掲げる1枚です。