黒・白・緑の横三色、左に赤い三角形、白い帯の中央に赤い三日月と星。西サハラの旗、北アフリカの係争地サハラ・アラブ民主共和国(SADR)の旗です。「アフリカ最後の植民地」と呼ばれる、国際的地位が未確定の領域です。汎アラブ色で、パレスチナやヨルダンの旗とよく似ています。今回はそんな西サハラ旗の話です。
まずは構成のおさらい
西サハラ旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):黒・白・緑
- 左側(旗竿側):赤い三角形
- 白い帯の中央:赤い三日月と星
色とシンボルの意味は、以下のとおりです(汎アラブ色)。
- 黒:殉教者への悲しみ
- 白:平和、サハラウィ人の純粋さ
- 緑:故郷への帰還の希望
- 赤い三角形:殉教者が流した血
- 三日月と星:アラブ共和国(星)とイスラム国家(三日月)
ヨルダン・パレスチナ・スーダンと並ぶ、汎アラブ色の旗です。
「アフリカ最後の植民地」
西サハラの、世界的に独特な地位を見ていきます。
国際的地位が未確定
西サハラは、国際連合が「非自治地域」と認定しています。「アフリカ最後の植民地」と呼ばれ、国連の非自治地域リストに残る数少ない領域です。
2つの主張
西サハラを巡っては、2つの主張が対立しています。
- モロッコ:西サハラはモロッコの一部だとして、領域の約80%を実効支配しています。
- サハラ・アラブ民主共和国(SADR):独立国家だと主張しており、ポリサリオ戦線が掲げ、領域の約20%を支配しています。
1つの領域に、2つの旗。これが西サハラの現実です。モロッコが実効支配する地域ではモロッコ国旗が掲揚され、ポリサリオ戦線(SADR)が支配する地域や難民キャンプでは西サハラ旗(SADR旗)が掲げられます。なお、モロッコ側の統治をSADR側は「占領」とみなしており、領有をめぐる立場は両者で大きく異なります(国際的には未解決の係争地です)。
国際承認
SADRは、約40-80カ国が承認しています(時期により変動)。アフリカ連合(AU)の加盟国でもあります。しかし国連加盟国ではなく、モロッコを支持する国も多くあります。コソボ・台湾・パレスチナと並ぶ、部分的承認の領域です。諸説あり、評価は政治的立場により大きく異なります。
1976年2月27日 ── サハラ・アラブ民主共和国
西サハラ旗の起源をたどります。
スペイン領サハラ
西サハラは、1884年から1975年まで、スペイン領サハラでした。スペインの植民地であり、スペインの北アフリカ領土だったのです。
1975年、スペイン撤退
1975年、スペインが撤退します。フランコ独裁の終焉と同時のことでした。モロッコとモーリタニアが領有を主張しましたが、サハラウィ人は独立を求めました。
1976年2月27日、SADR宣言
そして1976年2月27日、ポリサリオ戦線がサハラ・アラブ民主共和国(SADR)を宣言します。エル・ウアリ・ムスタファ・サイード(El Uali Mustafá Sayed、初代大統領)が旗をデザインし、汎アラブ色の旗が採択されました。
エル・ウアリ・ムスタファ・サイード
旗のデザイナーであるエル・ウアリ・ムスタファ・サイードは、SADRの初代大統領であり、ポリサリオ戦線の指導者でした。しかし1976年6月、戦死します。独立を宣言した大統領が、数ヶ月後に戦死する。西サハラの厳しい歴史を物語ります。
ポリサリオ戦線と難民
西サハラの、現代の現実を見ていきます。
ポリサリオ戦線
ポリサリオ戦線(Polisario Front)は、サハラウィ人の独立運動組織です。1973年に結成され、モロッコやモーリタニアと戦いました。
ティンドゥフ難民キャンプ
そしてアルジェリアのティンドゥフには、難民キャンプがあります。約10-17万人のサハラウィ難民が、数十年にわたる難民生活を送っており、ここは西サハラ旗が掲げられる場所でもあります。国旗の緑は故郷への帰還の希望を表しますが、人々は数十年難民のままです。重い現実です。
西サハラという領域
西サハラの基本情報です。
- 名称:西サハラ(Western Sahara)/サハラ・アラブ民主共和国(SADR、独立を主張)
- 主張首都:アイウン(El Aaiún、モロッコ実効支配)/ティファリティ(SADR臨時首都)
- 面積:約26.6万km²
- 人口:約60万人(推定)
- 公用語:アラビア語(スペイン語も)
- 法的地位:係争地(国際的地位未確定)
「サハラ砂漠の領域」
西サハラは、サハラ砂漠の大西洋岸に位置します。国土の大半が砂漠で、大西洋に面しています。リン鉱石や漁業資源が豊富で、それが領有争いの一因にもなっています。
「2,700kmの砂の壁」
そして西サハラには、モロッコの砂の壁(Moroccan Wall、ベルム)があります。モロッコが建設した全長約2,700kmの砂の防壁で、モロッコ実効支配地域とSADR支配地域を分断しています。世界最長級の軍事障壁であり、地雷も埋設されています。国旗の白は平和を表しますが、砂の壁が領域を分断しているのが現代の西サハラです。
まとめ:汎アラブ色、アフリカ最後の植民地
今回の西サハラ旗のまとめです。
- 黒・白・緑の横三色、左の赤い三角形、白い帯の赤い三日月と星
- 1976年2月27日、サハラ・アラブ民主共和国(SADR)宣言と同時に採択
- 設計者はエル・ウアリ・ムスタファ・サイード(SADR初代大統領、1976年戦死)
- 黒は殉教者への悲しみ、白は平和・純粋、緑は故郷への帰還の希望、赤三角は殉教者の血、三日月と星はアラブとイスラム
- 汎アラブ色(ヨルダン・パレスチナ・スーダンと似た構成)
- 1884-1975年スペイン領サハラ、1975年スペイン撤退
- モロッコが領域の約80%を実効支配、SADR(ポリサリオ戦線)が約20%
- モロッコ実効支配地域はモロッコ国旗、SADR地域・難民キャンプは西サハラ旗
- 国連の「非自治地域」、「アフリカ最後の植民地」と呼ばれる
- SADRは約40-80カ国が承認、アフリカ連合加盟国だが国連加盟国ではない
- アルジェリアのティンドゥフに約10-17万人のサハラウィ難民
- モロッコの砂の壁(全長約2,700km)が領域を分断
- リン鉱石・漁業資源が豊富、面積約26.6万km²
- 評価は政治的立場により大きく異なる(諸説あり)
汎アラブ色の、アフリカ最後の植民地の旗。西サハラの旗は、数十年続く独立闘争と難民の希望を汎アラブ色に込めた、国際的地位が未確定の領域の1枚です。