黒の三角形のなかにイノシシの牙、赤と緑の領域、それを区切る黄色のY字型。バヌアツの国旗は、南太平洋の島嶼国家の旗です。Y字型はバヌアツ80以上の島の連なりを地図上で表現したもので、イノシシの牙はバヌアツの伝統文化の象徴です。太平洋諸国のなかでも独特なデザインを持つ1枚。今回はそんなバヌアツ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
バヌアツ国旗の構成は、次のとおりです。
- 左側(旗竿側):黒い三角形
- 黒い三角形のなか:イノシシの牙と、2本のナメレの葉(ソテツ、Cycas seemannii)
- 黄色のY字型(パル、Pall):黒い三角形から右へ広がる
- 上の領域(赤):右上
- 下の領域(緑):右下
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 黒:メラネシア系のニ・バヌアツ人(バヌアツ国民)
- 赤:血、人類の団結(人間の血の色)
- 緑:島の豊かさ
- 黄色:福音の光、バヌアツの島々の連なりの形
- Y字型:バヌアツの島々の地図上での連なり
- イノシシの牙:伝統文化、繁栄、勇気
- ナメレの葉:平和、伝統的な権威
メラネシア文化とキリスト教、そして80以上の島の地理という、バヌアツのアイデンティティの全要素を1枚に圧縮した、世界でも極めて密度の高い国旗です。
「Y字型」 ── バヌアツ80以上の島の連なり
バヌアツ国旗の最も特徴的な要素が、黄色いY字型です。
「Pall(パル)」
紋章学・旗章学では、Y字型をパル(Pall)と呼びます。3本の腕が中央で合流する形で、ヨーロッパの紋章では十字架の変形バージョンにあたります。国旗で使われるのは珍しい形です。
バヌアツの島々
バヌアツは、80以上の島がY字型に連なる国です。総島数は約83島(うち65島が有人)で、北から南へ約1,300kmにわたって連なります。地図上で見ると、確かにY字型に近い形をしています。
国土の形をそのまま国旗にするというのは、ニジェールやナウルと並ぶ「地図としての国旗」の発想です。ただしバヌアツは、島の連なりを抽象化した形を採用しました。
福音の光
Y字型の黄色は、キリスト教の福音の光も象徴しています。バヌアツは人口の約83%がキリスト教徒(プロテスタント中心)で、島々に広がる福音の光をY字の形で表現しているのです。
地理と宗教という二重の意味を、Y字に込めたデザインです。
イノシシの牙 ── バヌアツの伝統
国旗の黒い三角形のなかには、イノシシの牙が描かれています。
バヌアツでのイノシシの意味
ニ・バヌアツ文化(バヌアツの伝統文化)では、イノシシは富と社会的地位の象徴です。ピッグ・トゥース(イノシシの牙)はバヌアツの伝統通貨として使われ、牙が大きく曲がっているほど価値が高く、完全な円を描く牙が最高価値とされます。イノシシを所有する数が、男性の社会的地位を決めました。
「丸い牙」を作る伝統
バヌアツ各島には、特別な技法でイノシシの牙を曲げる伝統があります。イノシシの上の歯を抜くと、下の牙が永続的に伸び続けます。数年から10年以上かけて円形に曲がり、完全な円を描く牙は、村の首長や有力者の証となります。
国旗のイノシシの牙は、この丸く曲がった最高価値の牙であり、バヌアツの伝統への深い敬意が込められています。
ナメレの葉
牙を取り囲むのは、2本のナメレの葉(ソテツ、Cycas seemannii)です。ソテツ科の植物で、バヌアツの土着植物にあたります(裸子植物で、シダ植物ではありません)。ナメレはジョン・フラム信仰やカストム文化で神聖視される葉で、平和と伝統的権威の象徴です。長老会議では、発言の象徴として使われます。
現代国家の旗のなかに千年以上のメラネシア文化のシンボルがあるというのは、世界の国旗のなかでも珍しい伝統の継承です。
1980年7月30日 ── 独立と国旗
バヌアツ国旗は、独立の年に誕生しました。
「ニューヘブリディーズ」 ── 英仏共同統治
バヌアツの植民地時代は、極めて特殊な統治形態でした。1906年から1980年まで、イギリスとフランスが共同で統治する英仏共同統治領(コンドミニアム)で、「ニューヘブリディーズ」(New Hebrides)と呼ばれていました。2つの植民地行政・2つの法体系・2つの教育システムが並存していたのです。
1つの島国に2つの宗主国という、世界でも極めて珍しい統治形態でした。地域を分割するのではなく、同じ島に対して英仏それぞれの政府・法律・警察・教育システムが二重に並存し、住民はどちらの法律に従うかを選べたという独自のシステム(Joint Administration)でした。
1980年独立への準備
1970年代に入ると、独立運動が活発化します。指導者はウォルター・リニ(Walter Lini、聖公会司祭・初代首相)で、政党はバヌアアク党(Vanua'aku Pati)でした。
1977年には、バヌアアク党の党旗が制定されます。デザイナーは現地アーティストのカロンタス・マロン(Kalontas Malon)で、赤・緑・黒・黄の4色を使ったこのデザインが、後の国旗の原型となりました。
1980年7月30日、独立
1980年7月30日、バヌアツが独立しました。国名はビスラマ語で「我々の土地」を意味する「ヴァヌア・トゥ」に由来し、「立ち上がった土地」の意とも言われます(諸説あり)。
1980年2月18日、国旗採択
国旗は独立より約5ヶ月前の1980年2月18日に採択されました。バヌアアク党の旗をベースに、議会委員会が最終調整を行い、イノシシの牙と2本のナメレの葉を国章として中央に追加したものです。
独立より前に国旗が決まるというのは、多くの英連邦・仏連邦国の独立準備期によくあるパターンです。
バヌアツという国 ── 「世界一幸福な国」
バヌアツの基本情報です。
- 正式名:バヌアツ共和国(République de Vanuatu / Ripablik blong Vanuatu)
- 首都:ポートビラ(Port Vila、エファテ島)
- 面積:約1.2万km²(島々の総面積)
- 人口:約32万人
- 公用語:英語、フランス語、ビスラマ語(3つの公用語)
- 宗教:キリスト教(約83%、プロテスタント・カトリック)
「100以上の言語」
バヌアツの最大の特徴は、世界で最も言語多様性が高い国のひとつだということです。約110以上の固有言語(メラネシア諸語)があり、人口あたりの言語密度は世界一です。人口32万人で110言語ということは、1言語あたり約3,000人という計算になります。隣の島でも言語が違うことが普通なのです。
ビスラマ語
ビスラマ語は、バヌアツの共通語です。英語ベースのクレオール語で、イギリス植民地時代に発展しました。100以上の固有言語を話すバヌアツ人をつなぐ共通言語です。たとえば「Yu blong wea?」は「あなたはどこから来た?」という意味で、直訳すると「You belong where?」となります。
1つの国に100以上の言語と1つの共通語があるというのは、世界でも極めて珍しい言語環境です。
「世界一幸福な国」 ── 諸説あり
2006年、新経済財団(NEF)のハッピー・プラネット・インデックスで、バヌアツが世界1位になりました。環境負荷・寿命・幸福感のバランスで評価する指標で、経済的に貧しくても自然と共生する持続可能な社会として評価されたのです。ただし評価指標によって順位は変動するため、諸説あります。
国旗の緑が島の豊かさ、赤が人類の団結を表すというシンボルが、現代の「豊かさ」の再定義を表しています。
ジョン・フラム信仰
バヌアツには、ジョン・フラム信仰という独特の信仰があります。第二次大戦中の米軍による物資投下を契機に発生したカーゴカルト(積荷信仰)で、「ジョン・フラム」という伝説的な人物(諸説あり、米軍兵士の名前との説もある)が富と平和をもたらすと信じられています。現代もタンナ島などで信仰が続いており、2月15日はジョン・フラム信仰の祝日です。
1つの国に100以上の言語、3つの公用語、伝統的精霊信仰、キリスト教、そしてジョン・フラム信仰が共存するというのが、バヌアツの極めて複雑な宗教・文化環境です。
ちなみに:バンジージャンプ発祥地
バヌアツのペンテコスト島には、ナゴール儀式という伝統があります。
「ランドダイビング」
ナゴール(N'gol)は、バヌアツのペンテコスト島に伝わる伝統的な儀式です。木製の高い塔(20-30m)から、ツル草を足首に巻いてジャンプします。男子の成人儀式や農作物の豊穣祈願として行われ、数百年の伝統があります。
バンジージャンプの起源
1979年、ニュージーランド人のA.J. ハケットが、ペンテコスト島のナゴールに着想を得てバンジージャンプを発明しました。ゴム紐を使った安全な現代版で、1988年に商業バンジージャンプを開始します。現在は世界中で楽しまれています。
バヌアツの伝統儀式が世界のスポーツ・レジャー文化の起源になったというのは、バヌアツの隠れた世界的貢献です。
まとめ:80の島、100の言語、1つのY
今回のバヌアツ国旗のまとめです。
- 黒い三角形(イノシシの牙+2本のナメレの葉)に黄色のY字型、赤(上)と緑(下)の領域
- 1980年2月18日採択、1980年7月30日独立
- 1977年のバヌアアク党党旗(カロンタス・マロン設計)が原型
- 議会委員会が国旗の最終デザインを決定
- 黒はメラネシア系のニ・バヌアツ人、赤は血・人類の団結、緑は島の豊かさ、黄は福音の光
- Y字型はバヌアツ約80の島の地図上の連なりと福音の光
- イノシシの牙はバヌアツの伝統通貨・社会的地位の象徴、丸く曲がった牙は最高価値
- ナメレの葉は伝統的権威・平和・長老会議の象徴
- 植民地時代は1906-1980年、英仏共同統治の特異な「コンドミニアム」
- 約110以上の固有言語、人口あたりの言語密度は世界一
- 共通語はビスラマ語(英語ベースのクレオール)
- 2006年、ハッピー・プラネット・インデックスで世界1位(諸説あり)
- ペンテコスト島の伝統儀式ナゴールがバンジージャンプの起源
- ジョン・フラム信仰(カーゴカルト)が現代も継続
80以上の島、100以上の言語、1つの国旗。バヌアツの国旗は、南太平洋の複雑な伝統文化と現代国家のアイデンティティを、Y字とイノシシの牙に込めた1枚です。