緑・黄・緑の3本の横帯、左に赤い三角形、そして黄色い帯のなかに2つの黒い星。サントメ・プリンシペの国旗です。2つの星は2つの主要島というわかりやすい構造で、設計者は独立時にそのまま初代大統領になった人物でした。アフリカ大西洋上の小さな島国の、なかなかドラマチックな国旗の話を、今回は紹介します。
まずは構成のおさらい
サントメ・プリンシペの国旗は、横3本の帯(比率2:3:2)が緑・黄(広)・緑、旗竿側に赤い二等辺三角形(旗の高さに広がる)、そして黄色い帯のなかに2つの黒い五芒星という構成です。
色は汎アフリカ色(緑・黄・赤に黒)そのもので、ガーナ・カメルーン・エチオピアなどと同じ系統です。
色とシンボルの意味は、次のとおりです。
- 緑:植生、農業
- 黄(広):カカオ(最大の輸出品)と太陽
- 赤(三角):独立闘争で流された血
- 2つの黒い星:サントメ島とプリンシペ島、そしてアフリカ系住民
「2つの星」は「2つの主要島」
サントメ・プリンシペの国旗のいちばんの特徴が、2つの黒い星です。これがそのまま、国を構成する2つの主要島を象徴しています。
| 旗竿側の星 | 対応する島 | 島の面積 |
|---|---|---|
| 上の星 | サントメ島 | 約854km² |
| 下の星 | プリンシペ島 | 約142km² |
国旗上の2つの黒い五芒星は同じサイズで水平に並びますが、対応する島の面積には約6倍の差があります。サントメ島がはるかに大きく、プリンシペ島は北の小さな島です。
合計しても約964km²(公式データ)で、東京23区の約1.5倍ほどです。アフリカ大陸の独立国のなかで、セーシェルに次いで2番目に小さな国です。
2つの島が2つの星というシンプルなロジックです。コモロが4つの星で4つの島、カーボベルデが10の星で10の島だったのと同じ系譜で、島の数を星の数で表すのは、アフリカの島嶼国の共通の発想です。
国名の由来
「サントメ・プリンシペ」という、ちょっと耳慣れない名前。これはポルトガル語で、ちゃんとした意味があります。
サントメ = 聖トマス
サントメ島(São Tomé)は、ポルトガル語で「聖トマス(Saint Thomas)」という意味です。
由来は、1470年12月21日にポルトガルの探検家がこの島を発見したのが、ちょうど聖トマス祭(カトリックの聖人使徒トマスの日)だったからです。発見の日にちなんで聖人の名前をつけるというのは、大航海時代のヨーロッパ人がよく行っていた命名法です。
プリンシペ = 王子
プリンシペ島(Príncipe)は、ポルトガル語で「王子(Prince)」という意味です。
由来は、当時のポルトガル王ジョアン2世の息子、王子アフォンソにちなんだものです。発見当時の王子に敬意を表して名付けたわけです。
島の名前自体に、ポルトガル植民地時代の痕跡が色濃く残っています。これは独立後も変わらず、現在も正式国名はサントメ・プリンシペ民主共和国(República Democrática de São Tomé e Príncipe)です。
設計者は、初代大統領
サントメ・プリンシペ国旗のデザイナーは、マヌエル・ピント・ダ・コスタ(Manuel Pinto da Costa、1937年生まれ)です。
彼の経歴がなかなか興味深いものです。東ドイツのフンボルト大学で経済学博士号を取得し(社会主義路線の影響を受けます)、サントメ・プリンシペ解放運動(MLSTP)の創設メンバーとなり、1975年7月12日の独立とともに初代大統領に就任しました。
国旗を設計した本人が、その旗のもとで初代大統領になるというのは、サモアの例(メアオレとタヌマフィリ2世)と同じく、世界の国旗のなかでもなかなか珍しいパターンです。
ピント・ダ・コスタはその後、1990年代の民主化で一度退任しましたが、2011年に民主選挙で復帰し、2016年まで再び大統領を務めました。国旗を設計してから40年以上、国の指導者として国旗とともに歩んだ人物です。
MLSTP党旗から国旗へ
サントメ・プリンシペ国旗の原型は、MLSTPの党旗でした。
MLSTPとは
MLSTP(Movimento de Libertação de São Tomé e Príncipe、サントメ・プリンシペ解放運動)は、1960年に結成された、ポルトガル領サントメ・プリンシペの独立を目指す政治運動です。ピント・ダ・コスタが創設メンバーのひとりで、マルクス・レーニン主義路線(当時のアフリカ独立運動に多く見られた傾向)をとり、同じくポルトガル領だったアンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウ・カーボベルデなどの独立運動と連帯しました。
1974年カーネーション革命
1974年4月25日、ポルトガル本国でカーネーション革命が発生しました。長く続いていたエスタド・ノヴォ体制(保守独裁)が崩壊し、新政府はアフリカ植民地の独立を承認する方針を打ち出します。
これによってMLSTPは、わずか1年余りで独立を達成しました。1974年7月に自治政府が発足し、1975年7月12日に完全独立を果たします。
そして独立時、MLSTPの党旗をベースにした国旗が採用されました。
党旗との違い
完全に同じではなく、ちょっとだけ修正されています。
| MLSTPの党旗 | 国旗 | |
|---|---|---|
| 緑・黄・緑の比率 | 均等(1:1:1) | 2:3:2(黄色が広い) |
| 赤い三角 | 同じ | 同じ |
| 2つの黒い星 | 同じ | 同じ |
黄色を強調したのは、カカオ豆を表現するためと言われます。
カカオの国
サントメ・プリンシペの黄色い帯がカカオを表すのは、決して大げさではありません。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、サントメ・プリンシペは世界最大級のカカオ生産地でした。1908年には世界第1位のカカオ生産国となり、当時のヨーロッパ・北米のチョコレート消費の大部分を支えました。ポルトガル植民地時代の主力産業です。
現在は世界規模での生産シェアは小さくなっていますが、それでもサントメ・プリンシペにとってカカオは最大の輸出品です。世界トップクラスの高品質カカオとして、フェアトレード市場やプレミアムチョコレートの世界でいまも評価されています。
国旗の黄色が国の経済の柱を表すというのは、シンプルですがメッセージ性の強いデザインです。
ちなみに:赤道直下、世界で唯一の場所
サントメ・プリンシペは地理的にも特殊で、赤道が国土を通るだけでなく、本初子午線(経度0度)もすぐ近くを通る国です。
緯度0度(赤道)はプリンシペ島とサントメ島の間を通り、経度0度(本初子午線)もすぐそばを通っています(プリンシペ島は北緯1.6度、東経7.4度です)。
経度0度かつ緯度0度の点(ヌル島)は、実際には大西洋の海上にあって、サントメ・プリンシペの南西、約600km地点です。世界で最も座標が単純な点という、地理マニア的にちょっと面白いポジションにある国でもあります。
まとめ:2つの島が、2つの星に込められている
今回のサントメ・プリンシペ国旗のまとめです。
- 緑・黄(広)・緑の横三色(比率2:3:2)に旗竿側の赤い三角、黄色帯に2つの黒い星
- 1975年7月12日採用、ポルトガルからの独立日
- 設計者は初代大統領マヌエル・ピント・ダ・コスタ(経済学博士、MLSTP創設メンバー)
- ピントは2011年から2016年に大統領として復帰、40年以上国旗とともに歩んだ
- ベースはMLSTPの党旗、独立時に黄色の帯を広く(2:3:2)に修正
- 2つの黒い星は2つの主要島(サントメ島とプリンシペ島)
- 「サントメ」は聖トマス(1470年12月21日の発見日)、「プリンシペ」はポルトガル王子に由来
- 黄色はカカオ。1908年に世界第1位のカカオ生産国
- 1974年ポルトガルのカーネーション革命を経て、1975年に独立
- 赤道と本初子午線が国土近くを通る、地理マニア的に特別な国
2つの島が、2つの星として旗の真ん中にある。サントメ・プリンシペの旗は、国の地理がそのままデザインになっている、シンプルでわかりやすい1枚です。