赤地のなかに、青いカントン、その中に5つの白い星。サモアの国旗です。5つの星は南十字星、南半球の代表的な星座です。そしてこの国旗をデザインした2人の人物は、独立後にそろって国家元首になったという、世界の国旗のなかでも珍しい話があります。今回はそんなサモア国旗の話です。
まずは構成のおさらい
サモア国旗の構成はシンプルです。背景は赤、左上のカントンが青い長方形で、そのカントン内に5つの白い五芒星(南十字星の配置)が描かれています。
5つの星のうち、4つは大きめ、1つは小さめです。これは実際の南十字星の星の明るさを反映しています(α、β、γ、δ、εの明るさ順です)。
色の意味は、次のとおりです。
- 赤:勇気
- 白:純粋さ(星)
- 青:自由、太平洋、サモアと他のポリネシア諸国とのつながり
赤と青と白の3色に星。シンプルなのに、南太平洋の島国としてのアイデンティティを過不足なく表現しています。
デザイナーは、独立後の元首になった2人
サモア国旗のデザインを手がけたのは、トゥプア・タマセセ・メアオレ(Tupua Tamasese Meaʻole)とマリエトア・タヌマフィリ2世(Malietoa Tanumafili II)でした。サモアを代表する2つの伝統的な王家マタイ家の継承者です。
彼らがデザインを手がけたのは、まだサモアがニュージーランドの国連信託統治領だった1948年のことです。独立を見越して新国家のシンボルを準備しようという動きの中で生まれた国旗でした。
そして1962年1月1日、サモアがニュージーランドから独立したとき、この2人は揃って「共同国家元首」に就任しました。
設計者2人がそのまま国家元首になるというのは、世界の国旗の歴史でもなかなか珍しいことです。自分たちで作った国旗を、自分たちが守る国の象徴として掲げる。なかなか粋な巡り合わせです。
その後の2人
トゥプア・タマセセ・メアオレは1963年に亡くなり、当初の2人を「終身の共同国家元首」と定めたサモア憲法の特例段階が終了しました。一方、マリエトア・タヌマフィリ2世は単独の終身国家元首として、2007年に亡くなるまで45年間在位しました。
2007年に崩御した時点では、当時存命中だった国家元首のなかで、タイのラーマ9世(70年)、イギリスのエリザベス2世(55年)に次いで、世界で3番目に長く在位した指導者として知られていました。
1948年は「4つの星」だった
サモア国旗の最初のバージョンは、1948年5月26日に制定されましたが、当初は星が4つでした。
赤地に青いカントン、その中に4つの白い星というデザインで、背景・カントン・星の色は現在と同じで、星の数だけが違いました。ニュージーランドの国旗(赤い4つの星の南十字星)の星の配置を参考にしつつ、まだ「ニュージーランド信託統治下のサモア」というアイデンティティを反映するものでした。
ところが1949年2月24日、5番目の小さな星が追加されます。
5星にした理由
南十字星は、実際には5つの星から構成される星座です。4つの主要星に1つの小さな星(エプシロン星)を含めると、より天文学的に正確になります。
独立国家として、自分たちの星座を完全に描こうという意識の表れと解釈できます。「4つから5つへ」という小さな変化が、実は「ニュージーランドの一部分から、独自の国家へ」という意味を持っていたわけです。
南太平洋の「南十字星クラブ」
サモアの国旗に描かれた南十字星は、南太平洋の国旗の共通モチーフになっています。
| 国 | 南十字星の描き方 |
|---|---|
| サモア | 青地に5つの白い星 |
| ニュージーランド | 青地に4つの赤い星(白縁取り) |
| オーストラリア | 青地に5つの白い星+連邦の星 |
| パプアニューギニア | 黒地に4つの白い星+極楽鳥 |
| トケラウ | 青地に4つの黄色い星 |
南半球からしか見えない星座を共有することで、南太平洋の国々の地理的・文化的な一体感が、国旗のレベルで表現されています。北極星や北斗七星には到底真似できない演出です。
北半球は「北極星」、南半球は「南十字星」。空の中心となる星座を複数の国が共有しているというのが、世界の旗の世界の面白さです。
1962年、ニュージーランドからの独立
サモアは1962年1月1日に独立しましたが、その前史を振り返ると、なかなか波乱に満ちています。
植民地・委任統治・信託統治の経緯
- 1900-1914年:ドイツ領サモア(ドイツ第二帝国の植民地)
- 1914年:第一次世界大戦勃発、ニュージーランド軍が占領
- 1920年:国際連盟の委任統治領としてニュージーランド管理下に
- 1947年:第二次大戦後、国際連合の信託統治領としてニュージーランド統治継続
- 1962年1月1日:完全独立。ポリネシアで最初に独立した近代国家
マウ運動
ただしサモアの独立は平穏に進んだわけではなく、マウ運動(O le Mau)という長年の独立運動の結果でした。
特に1929年12月28日、首都アピアで起きた「ブラック・サタデー」は、サモア国民の独立への思いを決定づけました。ニュージーランド警察が独立運動家のデモを発砲で鎮圧し、タマセセ・レアロフィ3世(前述のメアオレ氏の父)を含む11人が殺害された事件です。
「33年後の独立」は、こうした犠牲の上に成り立っています。
国旗のデザイナーであるメアオレ氏は、まさにブラック・サタデーで暗殺された父の意志を継いだ世代でした。独立国家のシンボル設計を彼が担ったのは、決して偶然ではなかったと言えます。
1997年、「西サモア」から「サモア」へ
サモア国旗自体は1949年から一度も変わっていませんが、国名は1997年に変更されています。
なぜ「西サモア」だったか
サモア諸島は、国際日付変更線に近い、ちょうど中央太平洋に位置していて、東西で別の国に分かれています。西サモアは独立国(現在の「サモア」)、東サモアはアメリカ領サモア(米国の準州)です。
このため、1962年の独立時の正式国名は「西サモア独立国(Independent State of Western Samoa)」でした。「西側」をわざわざ国名に入れていたわけです。
1997年、改名
しかし1990年代、サモア政府はこう判断します。
「独立国として、世界で唯一の主権国家サモア」である我々が、なぜ「西」と限定された名前を使う必要があるのか
そして1997年7月4日、国名を「サモア独立国(Independent State of Samoa)」に変更し、「西」が削除されました。
これに対して米領サモアは、「サモア」を独占されたと感じて反発しましたが、サモア政府は国際的な国名としては「Samoa」のみを使用しています。
国旗は変わらず名前だけ変わったというケースは世界でいくつかありますが、サモアの場合は「アイデンティティの宣言」としての意味が強かった改名でした。
サモアという国
サモアの基本情報です。
- 正式名:サモア独立国
- 首都:アピア
- 面積:約2,840km²(東京都より少し広い)
- 人口:約20万人
- 公用語:サモア語、英語
- 2つの主要島:ウポル島(首都アピアがある)とサバイイ島
「ファアサモア」── サモア式
サモアには、ファアサモア(Fa'a Samoa)という独自の文化体系があります。伝統的な首長による地域共同体運営を行うマタイ制度、血縁を超えた強い家族のつながりであるアイガ(拡大家族)、そして人口の98%以上が信徒で日曜は完全に休日となるキリスト教が、その柱です。
伝統と現代が共存するというのが、サモアの国家としての性格です。国旗の青いカントン(伝統的な王家)と赤い背景(独立の勇気)は、その共存をシンボル化していると見ることもできます。
ちなみに:人類の太平洋移動
サモアは、人類の太平洋移動史でも重要な位置を占めます。
考古学的証拠によると、約3,000年前、人類がラピタ文化として太平洋への大移動を始めたとき、サモアは「ポリネシア大三角形」の西端として、トンガとともに最初に到達した島々のひとつでした。
そしてサモアから、東へはタヒチ、ハワイ、イースター島へ、南へはニュージーランド(マオリ族)へと、太平洋全域へ人類が散らばっていく出発点になりました。
現代のポリネシア文化の故郷。そんな重みも、サモアにはあります。
まとめ:南半球の星を、自分たちの旗に
今回のサモア国旗のまとめです。
- 赤地に左上の青いカントン、5つの白い星(南十字星)
- 1949年2月24日採用、1962年1月1日独立後も変更なし
- デザイナーはトゥプア・タマセセ・メアオレとマリエトア・タヌマフィリ2世。独立後、共同国家元首に就任
- マリエトア・タヌマフィリ2世は2007年没まで45年間在位、2007年崩御時点で世界の存命国家元首中3位(ラーマ9世・エリザベス2世に次ぐ)
- 1948年5月26日に4つの星(赤地・青カントン・白星)で制定、1949年2月24日に5番目の小さな星を追加して天文学的に正確な南十字星に
- 1900年から1914年までドイツ領、1914年からニュージーランド統治、1962年独立
- 1929年のブラック・サタデー事件など独立運動「マウ運動」の歴史
- 1997年、国名「西サモア」から「サモア」に変更(国旗は変更なし)
- 南太平洋の「南十字星クラブ」の一員(NZ、オーストラリア、PNGなどと星座を共有)
- 約3,000年前のラピタ文化以来、ポリネシア文化の故郷
デザイナーが、自分たちの作った旗のもとで国を率いた。サモアの旗は、南太平洋の歴史と現代がきれいに重なる、ロマンチックな1枚です。