黒・赤・緑の横三色、上の黒い帯に赤い昇る太陽。マラウイの国旗は、東アフリカの内陸国の旗です。「Warm Heart of Africa(アフリカの暖かい心)」として知られる、温和な人々の国です。そして2010年に一度国旗を変更したものの、国民の反発によって2012年に元へ戻しました。世界の国旗のなかでも珍しい、「出戻り」の事例を持つ1枚です。今回はそんなマラウイ国旗の話です。
まずは構成のおさらい
マラウイ国旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):黒・赤・緑
- 上の黒い帯:赤い昇る太陽(半円の太陽+31本の光線)
- 比率:2:3
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 黒:アフリカ系国民を表します(汎アフリカ色の起源)
- 赤:独立闘争で流された血を表します
- 緑:マラウイの豊かな自然を表します
- 昇る太陽:アフリカの新時代の夜明けであり、独立と自由の希望を表します
汎アフリカ色(赤・黒・緑)に、アフリカ独立の夜明けを加えたもの。1960年代のアフリカ独立期を、最も明確に象徴する1枚です。
「アフリカの夜明け」 ── 昇る太陽
マラウイ国旗の最大の特徴が、昇る太陽です。
「夜明け」のシンボリズム
国旗上部の黒い帯には、赤い昇る太陽が描かれています。地平線から半分顔を出した半円の太陽で、31本の光線を放ちます。これは「アフリカの夜明け(Sunrise of Africa)」を表します。
1964年の文脈
なぜ「夜明け」なのか。それは1964年のアフリカ独立の波と関わります。1960年代、アフリカ諸国が次々と独立し、「アフリカの年」と呼ばれた1960年には17カ国が独立しました。マラウイも1964年に独立します。長い植民地時代の夜が明けて、アフリカの新時代が始まる、という思いが込められています。
昇る太陽は、アフリカの自由と独立の象徴。それがこのシンボリズムです。
「赤い太陽」 ── 独自性
そして、マラウイ国旗の太陽は赤い色をしています。多くのアフリカ国旗の太陽は黄色や金色(ウガンダ・ナミビア・ルワンダなど)ですが、マラウイだけが赤い太陽を採用しています。血と希望の融合といえるでしょう。
汎アフリカ色の赤を、太陽として2度使う。これが独特の構図です。
1964年7月6日 ── 独立とニヤサランドからの転換
ここからは、マラウイ国旗の正式採択を見ていきます。
ニヤサランド時代
マラウイは、1891年から1964年まで、イギリスのニヤサランド保護領でした。「Nyasaland」は、ヤオ語で「ニャサ湖(湖の地)」を意味します。マラウイ湖(ニャサ湖)周辺を指し、約73年間にわたってイギリスの支配が続きました。
1953-1963年、ローデシア・ニヤサランド連邦
1953年から1963年にかけては、ローデシア・ニヤサランド連邦が組まれました。イギリス領の3国(北ローデシア、南ローデシア、ニヤサランド)による連邦です。白人支配的な統治であったため、ニヤサランドの人々の反発を招きました。
1964年7月6日、独立
そして1964年7月6日、マラウイ共和国が独立します。国名は「ニヤサランド」から「マラウイ」に変更されました。「Malawi」はマラウイ族の名前に、チェワ語で「炎、光線」を意味する語が重なったものとされます(諸説あり)。独立の指導者は、ヘイスティングス・カムズ・バンダ(Hastings Kamuzu Banda)でした。
バンダ大統領
ヘイスティングス・カムズ・バンダは、マラウイ建国の父です。マラウイ会議派(MCP)の指導者であり、初代大統領(1964-1994)として30年間在任しました。西側寄りの政策をとり、南アフリカのアパルトヘイト体制とも関係を維持します。アフリカで唯一、南アフリカとイスラエルを承認していた時期もありました。一方で、権威主義体制として批判もされています。
国旗の黒はアフリカ人民を表すが、バンダ時代の政治は複雑だった。これが現代マラウイの歴史です。
マラウイ会議派の党旗から
マラウイ国旗の3色は、マラウイ会議派(MCP)の党旗から受け継がれたものです。黒・赤・緑と昇る太陽という構成で、政党の旗が独立国家の国旗となりました。
アンゴラ・モザンビーク・ジンバブエなどと並ぶ、独立政党の旗が国旗になったパターン。それがマラウイの特徴です。
2010-2012年 ── 国旗変更の失敗
マラウイ国旗には、世界でも珍しい「出戻り」のエピソードがあります。
2010年、ムタリカ大統領が変更
2010年7月29日、ビング・ワ・ムタリカ大統領(Bingu wa Mutharika、2004-2012)が、国旗の変更を強行しました。昇る太陽(半円)を完全な円形の白い太陽に変え、横3本の帯の順序も赤(上)・黒(中)・緑(下)へと変更します。「マラウイはすでに夜明けを越え、太陽は完全に昇った」というメッセージであり、経済成長と進歩を強調するものでした。
国民の反発
しかし、国民の反発は大きいものでした。「独立時の旗を勝手に変えるな」「バンダ大統領以来の伝統を捨てるのか」という声が上がります。政治的にも、MCPの党旗の継承であることから、対立政党の支持者から反対が出ました。国会や市民社会からも、強い抗議が寄せられます。
2012年5月28日、元に戻す
そして2012年4月、ムタリカ大統領が突然死去します。後任は、ムタリカの親族ではない女性のジョイス・バンダ大統領でした。2012年5月28日、議会は1964年版の国旗を復活させます。
わずか2年で、新国旗を捨てて元に戻した。これは、ニュージーランドの国旗変更国民投票(結局変更されず)と並ぶ、現代の国旗論争です。世界の国旗のなかでも稀な「出戻り」の事例といえます。
マラウイ国民が、独立の象徴である国旗を強く守った。それがこの物語の本質です。
マラウイという国
マラウイの基本情報です。
- 正式名:マラウイ共和国(Republic of Malawi)
- 首都:リロングウェ(Lilongwe)
- 面積:約11.8万km²(北海道の約1.4倍)
- 人口:約2,000万人
- 公用語:英語、チェワ語
- 宗教:キリスト教(約82%)、イスラム教(約13%)
「アフリカの暖かい心」
マラウイには、世界的に有名なニックネームがあります。Warm Heart of Africa(アフリカの暖かい心)です。マラウイ人の温和で友好的な性格を表現したもので、観光客から最も評価される国民性です。アフリカで最も人々が親しみやすい国とも言われます。
「マラウイ湖」 ── 国土の20%が湖
マラウイ最大の特徴が、マラウイ湖(ニャサ湖)です。国土の約20%が湖の水面で占められています。長さ約580km、幅約75kmで、アフリカ第3位の大湖です。シクリッド魚類の宝庫であり、約1,000種の固有種が生息します。湖の南端はユネスコ世界遺産に登録されています。
国旗の緑はマラウイの自然を表しますが、そのなかでも湖が国土の5分の1を占めるのです。
「世界最貧国のひとつ」
マラウイは、経済的に世界でも貧しい国です。人間開発指数は世界下位で、国民1人当たりの年間GDPは約600ドルです。農業中心の経済で、タバコ・茶・砂糖・コーヒーが主要な輸出品となっています。
国旗の昇る太陽は独立の希望を表しますが、現実には経済的な困難が続いています。それが現代マラウイです。
「マドンナの養子」
マラウイには、意外な世界的話題があります。歌手のマドンナが4人のマラウイ人の子供を養子に迎え、マラウイの孤児院や学校の建設に多額の寄付を行いました。慈善団体「Raising Malawi」も知られています。
国旗が世界的に知られる稀な理由として、このマドンナ効果もあります。
ちなみに:「マラウイ語」 ── チェワ語
公用語のひとつであるチェワ語(Chichewa)について見てみます。
「Chichewa」と「Chinyanja」
チェワ語の呼び名には、由来があります。「Chi-」は「〜語」を意味する接頭辞で、「Chewa」はチェワ族を指します。つまり「Chichewa」は「チェワ語(チェワ族の言語)」という意味です。一方、ザンビアやモザンビークでは、同じ言語を「Chinyanja(湖の言語)」と呼びます。
ひとつの言語が、国によって違う名前で呼ばれる。これは、セルビア・クロアチア・ボスニア語や、マレー・インドネシア語と並ぶ事例です。
まとめ:夜明けの太陽と、出戻りの旗
今回のマラウイ国旗のまとめです。
- 黒・赤・緑の横三色に、上の黒い帯に赤い昇る太陽(半円+31本の光線)
- 1964年7月6日、独立と同時に正式採択
- 黒はアフリカ系国民、赤は独立闘争の血、緑は自然
- 赤い昇る太陽はアフリカの新時代の夜明け、独立の希望
- 多くのアフリカ国旗は黄色/金色の太陽だが、マラウイは赤い太陽
- マラウイ会議派(MCP)の党旗(バンダ大統領率いる独立運動)の3色を継承
- 1891-1964年はイギリス領ニヤサランド、1964年に「マラウイ」へ改称
- 初代大統領ヘイスティングス・カムズ・バンダ(30年在任)、権威主義体制
- 2010年7月、ムタリカ大統領が国旗を変更(赤・黒・緑+完全な太陽)
- 2012年5月28日、ジョイス・バンダ大統領の下で1964年版の国旗を復活
- わずか2年での「出戻り」、世界でも珍しい事例
- 「Warm Heart of Africa(アフリカの暖かい心)」と呼ばれる温和な国民
- マラウイ湖(ニャサ湖)が国土の20%、アフリカ第3位の大湖
- 約1,000種のシクリッド固有種、ユネスコ世界遺産
- 人間開発指数で世界下位、農業中心の経済(タバコ・茶・砂糖)
- 公用語はチェワ語(ザンビア・モザンビークでは「Chinyanja」)
独立の夜明けの太陽を、国民が守り抜いた。マラウイの国旗は、1964年独立の理念を、2012年の出戻りによって再確認した、国民が国旗を選び直した稀な物語です。