黄・緑・赤の3本の横帯。バルト3国の南端、リトアニアの国旗です。ラトビアが血の旗なら、リトアニアは「大地と空と太陽」の旗。そして1918年の独立時、ヴィタウタス大公のヴィティス(馬上の騎士)の伝統から離れて、民衆的な3色を採用しました。世界の国旗のなかでも珍しい「紋章から自然へ」の転換を経た1枚です。今回はそんなリトアニア国旗の話です。


まずは構成のおさらい

リトアニア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 横3本の帯(上から):黄・緑・赤
  • 比率:3:5

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • :太陽、繁栄、光
  • :森、田園、希望、自然
  • :流された血、勇気、愛国心

トーゴ・マリ・ガーナなどの汎アフリカ色(赤黄緑)に近いものの、それとは独立に生まれて発展した3色だというのが、リトアニア国旗の特徴です。


14世紀リトアニア大公国 ── 「ヴィティス」の伝統

リトアニア国旗の歴史的背景を見ていきます。

リトアニア大公国

リトアニア大公国(Grand Duchy of Lithuania、13-18世紀)は、最盛期にはヨーロッパ最大級の国家でした。現在のリトアニア・ベラルーシ・ウクライナ西部・ポーランド東部・ロシア西部にまたがる領域を支配します。1386年にポーランド・リトアニア合同が成立し、1569年にはルブリン合同によってポーランド・リトアニア共和国が生まれました。

ヴィティス(馬上の騎士)

リトアニア大公国の伝統的な紋章が、ヴィティス(Vytis)です。赤地に白い馬上の騎士(白馬、剣、盾)が描かれ、盾には黄色の二重十字(ヤギェウォ十字)が配されています。「追跡する騎士」を意味し、「リトアニア戦争旗」や「ベラルーシのPahonia」とも呼ばれます。ポーランドの白鷲と並ぶ、ヨーロッパ中世の重要な紋章のひとつです。

1795年、リトアニア大公国の終焉

そして1795年、ポーランド分割によってリトアニアはロシアに併合されます。リトアニアは独立を失い、以後、約120年間にわたってロシアの統治下に置かれました。


1918年 ── 「ヴィティス」から「黄緑赤」へ

リトアニア国旗が、現代の姿で誕生した経緯を見ていきます。

1917年、ヴィリニュス会議

1917年、ヴィリニュス会議が開かれ、リトアニア独立の準備が進められました。ここで新国旗のデザイン論争が起こります。伝統的なヴィティス(赤地に白騎士)を採るか、新しい3色旗を採るかが議論されました。

「民衆的な色」を選択

そして、3人の委員会が組織されます。「リトアニア民族の父」と呼ばれる学者ヨナス・バサナヴィチュス、画家アンタナス・ジュムジナヴィチュス、作曲家タダス・ダウギルダスの3人です。特にタダス・ダウギルダスが、民衆芸術(フォークアート)にインスピレーションを得て3色を選びました。緑はリトアニア民衆芸術で最も多い色で森と田園を、赤は2番目に多い色で情熱と血を、黄は緑と赤の間を繋ぐ細い色として朝日を表します。ポーランドやハンガリーなどのトリコロールに影響を受けつつ、リトアニア独自の民衆色を採用したというのが、現代リトアニア国旗の本質です。

1918年4月25日、正式採択

1918年4月19日に最終案が提出され、1918年4月25日、リトアニア評議会(Taryba)が正式に採択しました。1918年2月16日のリトアニア独立宣言から数ヶ月後のことです。伝統的なヴィティスは国章に残し、国旗は新しい3色とされました。国旗とは別に国章にヴィティスが残るというのが、リトアニアにおける伝統と現代の両立です。


1940-1990年 ── ソ連占領下

リトアニア国旗にも、20世紀の苦難の歴史があります。

1940年、ソ連占領

ラトビアと同じく、1940年6月にソ連がリトアニアを占領しました。リトアニア・ソビエト社会主義共和国が成立し、3色旗は禁止され、公的に掲げると逮捕される状況でした。

1990年3月11日、独立回復宣言

1990年3月11日、リトアニアはソ連の諸共和国のなかで最初に独立を宣言し、国旗を完全に復活させました。1991年8月22日にはアイスランドが最初に承認し、続いてデンマーク・ノルウェー・EC・アメリカなどの主要国が8月末までに承認します。そして1991年9月17日に国連へ加盟しました。バルト3国のなかで最も早く独立を勝ち取ったというのが、リトアニアの誇りです。

1991年1月、血の日曜日

しかし、1991年1月13日に1月事件が起こります。ソ連軍がヴィリニュスのテレビ塔を攻撃し、14人のリトアニア人市民が死亡しました。独立のために流された血です。国旗の赤は、1991年1月の犠牲者の血を表すという、現代の意味も帯びています。


リトアニアという国

リトアニアの基本情報です。

  • 正式名:リトアニア共和国(Lietuvos Respublika)
  • 首都:ヴィリニュス(Vilnius)
  • 面積:約6.5万km²
  • 人口:約280万人
  • 公用語:リトアニア語(インド・ヨーロッパ語族・バルト語派)
  • 宗教:ローマ・カトリック(約77%)

「言語学の至宝」

リトアニア語には、世界的に有名な特徴があります。ラトビア語と並んで、現代のインド・ヨーロッパ語族のなかで最も古い言語構造(古形)を保持している言語のひとつであり、サンスクリット語に近い古代の特徴を残しています。Britannicaも「the most archaic Indo-European language still spoken(現代に話される、最も古いインド・ヨーロッパ語)」と評しています。インド・ヨーロッパ語族の研究にはリトアニア語が不可欠だというのが、言語学者の共通認識です。

「ハンザ同盟の遺産+カトリック」

リトアニアは、バルト3国で唯一のカトリック国家です。ラトビアとエストニアがプロテスタント中心であるのに対し、リトアニアはカトリックが約77%を占めます。1386年のポーランド・リトアニア合同でポーランドのカトリックを受容したもので、ヨーロッパで最後にキリスト教化された国(14世紀末)でもあります。

「ヴィリニュス」 ── バロックの都市

首都ヴィリニュスの旧市街は、ユネスコ世界遺産に登録されています。17世紀のバロック建築が立ち並ぶ、東欧最大の旧市街のひとつです。かつてはユダヤ文化の重要拠点であり、「北のエルサレム」とも呼ばれました。

「ホロコーストの悲劇」

ヴィリニュスは、戦前、東欧最大のユダヤ文化中心地のひとつでした。戦前はヴィリニュス人口の約40%(約8万人)がユダヤ系で、リトアニア系ユダヤ人を指す「リタクの中心」とされていました。しかし1941-1944年のナチス占領で、約20万人のリトアニア系ユダヤ人が虐殺されます。国旗の黄は太陽を表しますが、20世紀のリトアニアには深い影が落ちたという、複雑な歴史です。


ちなみに:「世界最大の人間の鎖」

リトアニアにも、バルト3国に共通する歴史があります。

1989年、バルトの道

ラトビア記事で触れたとおり、1989年8月23日に「バルトの道」が決行されました。約200万人が手をつないで人間の鎖を作り、ヴィリニュスからリガを経てタリンまで、約675kmにおよびました。ヒトラー・スターリン不可侵条約50周年に合わせた抗議です。国旗の3色は独立への希望を表し、それを支えたのが人間の鎖だったという、感動的な物語です。

1991年、独立

そして1991年9月17日、リトアニアが国連に加盟しました(同日にラトビア・エストニアも加盟)。バルト3国で最初に独立を宣言し、独立を完成させたのです。2004年にはEUとNATOに加盟しました。


まとめ:民衆芸術の3色、独立の象徴

今回のリトアニア国旗のまとめです。

  • 黄・緑・赤の横三色(3:5)
  • 1918年4月25日、リトアニア評議会で正式採択
  • 1918年2月16日リトアニア独立宣言の数ヶ月後
  • 3人の委員会:ヨナス・バサナヴィチュス、アンタナス・ジュムジナヴィチュス、タダス・ダウギルダス
  • タダス・ダウギルダスが民衆芸術(フォークアート)の色から発想
  • 黄=太陽・繁栄、緑=森・田園・希望、赤=血・勇気・愛国心
  • 13-18世紀リトアニア大公国は、伝統的に赤地に白い騎士「ヴィティス」を使用
  • 1795年ポーランド分割でロシア帝国に併合、120年の被支配
  • ヴィティスは現代も国章に残る(国旗は新3色に)
  • 1940年ソ連占領で50年間国旗禁止
  • 1990年3月11日、ソ連諸共和国で最初に独立宣言
  • 1991年1月13日「血の日曜日」事件、ソ連軍がヴィリニュス・テレビ塔を攻撃、14人死亡
  • リトアニア語はインド・ヨーロッパ語族のなかで最も古い構造を保持している言語のひとつ(ラトビア語と並ぶ、Britannica評)
  • バルト3国唯一のカトリック国家(ヨーロッパで最後にキリスト教化、14世紀末)
  • 首都ヴィリニュスの旧市街はユネスコ世界遺産
  • 1941-1944年ナチス占領で約20万人のリトアニア系ユダヤ人が虐殺
  • 1989年バルトの道、1991年8月から国際社会の承認、9月17日国連加盟、2004年EU・NATO加盟

14世紀の騎士から、20世紀の民衆芸術へ。リトアニアの国旗は、ヴィティスの伝統を国章に残しつつ、新しい国旗で民衆と独立を表現した、伝統と革新の融合の旗です。