赤・黒(広め)・緑の3本の横帯、中央に白い三日月と5角星。北アフリカの国家、リビアの国旗です。1969-2011年、ムアンマル・カダフィの独裁下では、世界で唯一の「単色緑旗」でした。2011年のアラブの春・革命で、1951年の元の旗が復活します。現代史のなかで最も劇的な国旗の物語を持つ1枚です。今回はそんなリビア国旗の話です。
まずは構成のおさらい
リビア国旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):赤・黒(2倍幅)・緑
- 中央の黒い帯:白い三日月+5角星
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤:フェザーン地方(リビア南西部)の伝統色、独立闘争の血
- 黒:キレナイカ地方(リビア東部)の伝統色、セヌーシ教団
- 緑:トリポリタニア地方(リビア北西部)の伝統色、イスラム教
- 三日月と星:イスラム教
リビアの3つの歴史的地方の色を1つの旗にまとめたもので、地理的にも歴史的にも明確なシンボリズムを持っています。
「世界で唯一、単色の国旗」 ── 1977-2011年
リビア国旗には、世界的に最も有名な記録があります。
カダフィの単色緑旗
1977-2011年、ムアンマル・カダフィ(Muammar Gaddafi、1942-2011)独裁下のリビアでは、国旗が完全な単色の緑でした。何のデザインもない、世界で唯一、シンボル・デザイン・文字のない国旗で、34年間にわたって使われました。
「緑の本」と緑
なぜ単色の緑だったのかというと、カダフィの政治哲学に理由があります。カダフィの政治思想書『緑の本』(The Green Book、1975)に表れているように、緑はイスラム教とアラブ社会主義を象徴し、「第三世界路線」を強調するものでした。
「アラブ・リビア・ジャマーヒリーヤ社会主義人民共和国」
カダフィ時代の正式国名は、「アラブ・リビア・ジャマーヒリーヤ社会主義人民共和国」(Great Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya)でした。「ジャマーヒリーヤ」は「大衆統治」を意味するカダフィ独自の造語です。長すぎる国名と単色の国旗というのが、カダフィ時代のリビアでした。
2011年8月3日 ── 革命と1951年旗復活
リビア国旗は、21世紀に最大の転換を迎えます。
2011年、アラブの春
2011年、チュニジアやエジプトから始まった革命の波、アラブの春がリビアにも波及しました。2011年2月、ベンガジで反カダフィ蜂起が起こり、NATOも軍事介入します。
革命派が1951年の旗を掲げる
そして革命派は、1951年の王制時代の旗を抵抗の象徴に掲げました。赤黒緑に三日月星の旗を全国で掲揚し、カダフィの単色緑を捨てて王制時代の旗に戻ろうとしたのです。
2011年8月3日、国民暫定評議会が採択
そして2011年8月3日、国民暫定評議会(NTC)が1951年の旗を正式に採択しました。カダフィの単色緑を完全に廃止し、1951年の王制時代の旗を復活させたのです。
2011年10月20日、カダフィ死亡
2011年10月20日、カダフィが捕らえられ、殺害されました。42年間の独裁が終わり、リビア革命が勝利します。34年間使われた単色緑旗が革命で消えたという、世界の国旗史で最も劇的な転換のひとつです。
1951年の旗 ── イドリース1世王制時代
復活した1951年の旗は、リビア王国時代のものです。
1951年12月24日、独立
1951年12月24日、リビアが独立しました。第二次大戦後、イタリア植民地から国連信託統治を経ての独立です。初代国王には、セヌーシ教団の指導者であるイドリース1世(Idris I)が即位し、リビア連合王国が成立しました。
オマール・ファイク・シェンニーブ
国旗をデザインしたのは、オマール・ファイク・シェンニーブ(Omar Faiek Shennib、1899-1953)です。リビア建国の父のひとりで、その国旗デザインを国王イドリース1世が承認しました。
1951年の旗
そして1951年12月24日に採択されたのが、赤・黒・緑の3本帯(黒が2倍幅)に、中央に白い三日月と星を配した旗です。
「3地方の色」
リビアは、歴史的に3つの地方から成り立っていました。トリポリタニア(北西部)はイスラム文化の中心で首都トリポリを擁し、緑で表されます。キレナイカ(東部)はセヌーシ教団の本拠地でベンガジを擁し、黒で表されます。フェザーン(南西部)はサハラ砂漠に位置し伝統的に独立傾向が強く、赤で表されます。3地方の連邦という1951年王制リビアの構造を、国旗の3色が反映しているのです。
1969年、カダフィ・クーデター
リビア国旗には、断絶の歴史があります。
1969年9月1日、九月革命
1969年9月1日、カダフィら軍人たちがクーデターを起こしました。当時27歳のカダフィがイドリース1世国王を退位させ、リビア・アラブ共和国が成立します。
1969-1972年、新国旗
1969-1972年の新国旗は、エジプト国旗を模した赤・白・黒の横三色にハヤブサを加えたものでした。「アラブ共和国連邦」の構想を背景にしたデザインです。
1977年、単色緑旗
そして1977年3月2日、カダフィが単色の緑旗を制定します。デザインもシンボルもない、「世界で唯一の純粋単色旗」でした。1951年、1969年、1972年、1977年、そして2011年と、リビア国旗は5回変更されたことになります。
リビアという国
リビアの基本情報です。
- 正式名:リビア国(ليبيا、State of Libya)。2011年以降、正式国名から「ジャマーヒリーヤ」を削除
- 首都:トリポリ(Tripoli)
- 面積:約176万km²(アフリカ第4位)
- 人口:約700万人
- 公用語:アラビア語
- 宗教:イスラム教(約97%、スンナ派)
「アフリカ第4位の面積」
リビアは、面積でアフリカ第4位の国です。アルジェリア、コンゴ民主共和国、スーダンに次ぐ広さを誇ります。
「サハラ砂漠の国」
リビアの地理は、サハラ砂漠が大きな割合を占めます。国土の約95%がサハラ砂漠で、人口の大多数は北部沿岸(トリポリ・ベンガジ)に集中しており、南部はほぼ無人です。
「石油大国」
リビアは、アフリカで石油埋蔵量が上位の国です。埋蔵量は約480億バレルで、アフリカ第1位、世界でも第10位前後にあたります。石油がGDPの大部分を占め、カダフィ時代にはアフリカで国民1人当たりGDP最高クラスでした。国旗の黒は原油の色を表すという解釈もあります。
「現代の内戦と分裂」
しかし、2011年以降のリビアは複雑です。2011年にカダフィ政権が崩壊し、2014年以降は第二次リビア内戦で複数の政府・武装組織が対立しています。トリポリ政府(西、国連承認)とベンガジ政府(東、ハフタル将軍)の東西分裂が続き、国旗は統一の象徴であるのに国家は分裂しているという状況です。3地方の旗であるリビア国旗が、3地方の分裂を反映しているという皮肉な現代史です。ただし諸説あり、評価は政治的立場によって異なります。
「ローマ帝国の遺産」
リビアには、古代の遺産が残っています。ローマ帝国の主要都市レプティス・マグナ、ローマ・カルタゴの港町サブラタ、古代ギリシアの植民都市キレネは、いずれもユネスコ世界遺産です。国旗の3色が表す3地方の遺産に加えて、こうした古代の遺産も、リビアの深い歴史を物語ります。
ちなみに:「カダフィ」と日本
リビアと日本には、意外な関係があります。
1979年の石油ショック
1979年の第2次石油危機は、イラン革命とリビアの石油輸出制限が重なって起こりました。日本はリビアからも石油を輸入しており、カダフィ政権下で緊張が生じました。
文化的距離
そして、現代の関係は希薄です。安全上の理由から日本人観光客はほぼゼロで、政治的な接触も限られています。
まとめ:3地方の3色、革命の旗
今回のリビア国旗のまとめです。
- 赤・黒(2倍幅)・緑の横三色+中央の白い三日月と5角星
- 1951年12月24日、リビア独立と同時に制定(オマール・ファイク・シェンニーブがデザイン)
- 1969年カダフィ・クーデター、1969-1972年エジプト風国旗、1977-2011年単色緑旗
- 1977-2011年の34年間、世界で唯一の純粋単色国旗
- 緑=カダフィの「緑の本」、イスラム教+アラブ社会主義
- 2011年アラブの春、リビア革命、NATO軍事介入
- 2011年8月3日、国民暫定評議会が1951年の旗を正式復活
- 2011年10月20日、カダフィ殺害、42年間の独裁終焉
- 赤=フェザーン地方(南西部、サハラ)、黒=キレナイカ地方(東部、セヌーシ教団)、緑=トリポリタニア地方(北西部、イスラム)
- 三日月と星=イスラム教(伝統的シンボル)
- 国名から「ジャマーヒリーヤ」を2011年に削除、現在は「State of Libya」
- アフリカ第4位の面積、国土の95%がサハラ砂漠
- 石油はアフリカ第1位の埋蔵量(約480億バレル)
- 2014年以降、東西分裂の第二次内戦が継続
- ローマ帝国の遺産(レプティス・マグナ等)が世界遺産
単色緑から、3地方の革命旗へ。リビアの国旗は、ミャンマー・ハンガリーと並ぶ、独裁から民主主義への国旗変遷を、最も劇的に体現した1枚です。