深紅・白・深紅の3本の横帯(2:1:2の比率)。バルト海沿岸の小国、ラトビアの国旗です。世界で最も古い国旗のひとつとされ、1280年にラトガリアの戦士が血で染めたシーツの伝説を持ちます。デンマークのダンネブローと並ぶ、中世から続く血と布の物語をまとった1枚。今回はそんなラトビア国旗の話です。


まずは構成のおさらい

ラトビア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 横3本の帯(上から):深紅・白・深紅
  • 比率:2:1:2(上下の赤が中央の白の2倍幅)
  • 全体比:1:2

色とシンボルの意味は、以下のとおりです。

  • 深紅(ラトビア・レッド、カーマイン):戦士の血、独立闘争の犠牲
  • :戦士の包帯、または瀕死の戦士が包まれたシーツ

世界の国旗のなかで唯一といわれる深紅の独特な色合いが、ラトビア国旗の特徴です。


「ラトビア・レッド」 ── 世界で唯一の深紅

ラトビア国旗の最大の特徴を見ていきます。

「深紅」の独自性

ラトビアの赤は、通常の赤ではありません。カーマイン(Carmine)、または「ラトビア・レッド」と呼ばれる色で、コチニール(昆虫から取る天然染料)の色に近く、少し茶色がかった深い赤です。多くの国旗の赤がブライト・レッドであるのに対し、ラトビアだけが深紅を使っており、これは世界の国旗のなかで唯一の色とされています。

「血の色」の意味

なぜ深紅なのかというと、戦士の血を象徴する濃い色だからです。鮮やかな赤ではなく、流れて固まった血の色であり、戦場のリアリティを表現しています。血の色を文字通り表現した、世界で唯一の国旗というわけです。


1280年の伝説 ── 瀕死の戦士のシーツ

ラトビア国旗は、世界で最も古い起源伝説のひとつを持っています。

「リヴォニア年代記」

13世紀末のリヴォニア年代記(Livonian Rhymed Chronicle)には、「1279年または1280年、ラトガリアの戦士たちが、赤地に白い帯の旗を掲げて戦った」と記されています。ラトビアの土地で、800年以上前から赤白赤の旗が使われていたという、世界でも極めて古い国旗の証拠です。ただし当時の記録はあくまで「赤地に白い帯」であり、現代の比率2:1:2やラトビア・レッドの色合いが厳密に確定したのは1917年のデザイン選定時でした。

「瀕死の戦士の伝説」

そして、民間伝承があります。ラトガリアの首長が戦場で致命傷を負い、白いシーツに包まれて運ばれました。シーツの両端は血で深紅に染まり、首長が横たわった中央の部分だけは白のまま残りました。次の戦いで、この血染めのシーツが旗として掲げられたといいます。

首長の血がラトビアの旗の色になったというのが、伝説の核心です。これはデンマークのダンネブロー(空から降ってきた旗)と並ぶ、ヨーロッパ最古の国旗誕生伝説のひとつです。

「2:1:2の比率の説明」

伝説によれば、国旗の比率2:1:2にも意味があります。上の赤い帯は首長の頭側を染めた血、中央の白い帯は首長が横たわって染まらなかった部分(狭い)、下の赤い帯は首長の足側を染めた血を表すといいます。国旗の比率そのものが、瀕死の戦士の体の比率を表すという、世界で唯一無二の意味を持つデザインです。


1918-1921年 ── 近代国家としての制定

ラトビア国旗の、近代の正式制定を見ていきます。

1918年11月18日、独立

ラトビアは、1918年11月18日にロシア帝国崩壊後に独立しました。第一次大戦後のロシア革命の混乱を機に、ラトビア人民評議会が独立を宣言し、新国家「ラトビア共和国」が誕生します。

1917年、新国旗デザイン

それに先立つ1917年5月、画家アンシス・チルラ(Ansis Cīrulis)が新国旗をデザインしました。1280年の伝説の赤白赤を継承し、比率2:1:2を明確化したうえで、深紅の色合いを正式化したものです。

1921年6月15日、正式制定

そして1921年6月15日、制憲議会が現代版の国旗を正式に制定しました。デザインを法律で標準化し、以後、現代まで継続しています。


1940-1990年 ── ソ連占領下の国旗禁止

ラトビア国旗には、20世紀の苦難の歴史があります。

ソ連占領

1940年6月17日、ソ連がラトビアを占領しました。ラトビア・ソビエト社会主義共和国が成立し、ラトビア国旗は禁止され、ソ連旗をベースにした新しい旗に置き換えられました。

1941-1944年、ナチス占領

1941年6月、ナチス・ドイツがソ連を攻撃し、ラトビアを占領します。ナチス支配下でもラトビア国旗は禁止され、多数のラトビア人がホロコーストの犠牲となりました。

1944-1990年、再びソ連

1944年、ソ連が再占領し、その状態は1990年まで続きました。国旗は厳しく禁止され、公的に掲げると逮捕される状況でした。

しかし、ラトビア人は秘密裡に国旗を保持し続けます。そして1980年代の独立運動で、再び公然と掲揚されるようになりました。50年間も政治的に禁止された国旗が地下で生き残ったという物語は、ハンガリーやエストニアなどと並ぶ、東欧諸国に共通する歴史です。

1990年5月4日、独立回復宣言

そして1990年5月4日、ラトビアが独立回復を宣言しました。1991年8月21日には完全独立を果たし、1921年版の国旗を完全に復活させます。50年の禁止を超えて、1280年の旗が現代に戻ったというのが、ラトビアの誇りです。


ラトビアという国

ラトビアの基本情報です。

  • 正式名:ラトビア共和国(Latvijas Republika)
  • 首都:リガ(Riga)
  • 面積:約6.5万km²
  • 人口:約190万人
  • 公用語:ラトビア語(インド・ヨーロッパ語族・バルト語派)
  • 宗教:ルター派福音派(約34%)、ローマ・カトリック(約25%)、ラトビア正教(約20%)

「バルト3国」

ラトビアは、バルト3国の中央に位置します。北はエストニア、南はリトアニア、西はバルト海、東はロシアと接しています。1991年に3国が同時にソ連から独立したというのが、バルト3国の共通する歴史です。

「ラトビア語」 ── インド・ヨーロッパ語の古形を残す言語

ラトビア語には、言語学的な重要性があります。リトアニア語と並んで、現代のインド・ヨーロッパ語派のなかで最も古い形態を保持している言語のひとつであり、サンスクリット語・ラテン語・古代ギリシア語に近い古代の特徴を残しています。「生きた言語化石」として言語学者に重視されており、インド・ヨーロッパ語族の母を最もよく保存している言語のひとつといわれます。

「リガ」 ── ハンザ同盟の都市

首都リガは、ハンザ同盟の主要都市でした。1201年、ドイツ騎士団のアルベルト司教が建設し、ハンザ同盟(中世のヨーロッパ商業連合)の重要拠点となりました。旧市街とアール・ヌーヴォー建築群はユネスコ世界遺産に登録されており、「バルトのパリ」とも呼ばれます。

「歌の国」

ラトビアには、世界遺産級の文化があります。ラトビア歌と踊りの祭(Dziesmu un Deju Svētki)は、4年に1度、約4万人が参加する世界最大級の合唱祭で、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。1987-1991年には、バルト3国がソ連からの独立を歌で勝ち取った「歌う革命」が起こりました。国旗の血の色は戦士の血を表す一方、独立は歌で勝ち取ったというのが、ラトビアの感動的な歴史です。

「2004年、EU・NATO加盟」

ラトビアは、東欧革命後の優等生といわれます。2004年にEUとNATOに加盟し、2014年にはユーロを導入しました。


ちなみに:「人間の鎖」

ラトビアには、世界的に有名な歴史的瞬間があります。

1989年8月23日、バルトの道

1989年8月23日、「バルトの道」(Baltic Way)が決行されました。バルト3国の市民約200万人が手をつなぎ、タリンからリガを経てヴィリニュスまで、約675kmにわたって人間の鎖を作ったのです。これはヒトラー・スターリン不可侵条約50周年に、ソ連からの独立を求めた平和的な抗議であり、「人類史上最大の人間の鎖」と呼ばれます。国旗の白い帯は平和を表しますが、その平和的な政治運動が大きな変化を起こした、1989年の感動的な瞬間でした。


まとめ:1280年の戦士の血、800年の旗

今回のラトビア国旗のまとめです。

  • 深紅・白・深紅の横三色(2:1:2、全体1:2)
  • 1921年6月15日、制憲議会で現代版を正式制定
  • 1917年、画家アンシス・チルラがデザイン
  • 起源は13世紀末リヴォニア年代記(1279-1280年の戦闘)
  • 伝説:瀕死のラトガリア首長を白いシーツで包み、両端が血で染まる
  • 国旗の比率2:1:2は瀕死の戦士の体の比率を反映
  • 「ラトビア・レッド」は世界で唯一の深紅(カーマイン)色
  • 1918年11月18日、ロシア帝国崩壊後に独立
  • 1940年ソ連占領、1941年ナチス占領、1944年再ソ連占領で国旗禁止(50年)
  • 1990年5月4日独立回復宣言、1991年8月21日完全独立
  • 1921年版の国旗を完全復活
  • バルト3国の中央、首都リガはハンザ同盟の都市(1201年建設)
  • ラトビア語はインド・ヨーロッパ語派のなかで最も古い形態を保持している言語のひとつ(リトアニア語と並ぶ)
  • ラトビア歌と踊りの祭はユネスコ無形文化遺産、4年に1度約4万人参加
  • 1987-1991年「歌う革命」でソ連からの独立を平和的に勝ち取る
  • 1989年8月23日「バルトの道」:3国200万人の人間の鎖
  • 2004年EU・NATO加盟、2014年ユーロ導入

800年前の戦士の血が、現代の旗の色に。ラトビアの国旗は、世界で最も古い旗のひとつであり、デンマークのダンネブローと並ぶ中世ヨーロッパの血の伝説を継承する1枚です。