赤・青・赤の3本の横帯、中央に白い大きな円。これがラオスの国旗、東南アジアの社会主義国家の旗です。青い帯はメコン川、白い円は満月を表し、社会主義国家のなかでも珍しく星を使わない、自然をテーマにしたデザインになっています。さらに、パテト・ラオ(共産党)の旗を1975年の革命でそのまま国旗にしたという現代史を背負った1枚でもあります。今回はそんなラオス国旗の話です。
まずは構成のおさらい
ラオス国旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):赤・青(広め)・赤
- 中央の青い帯:白い円(円の直径は青い帯の高さの4/5)
- 比率:2:3
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤(上下):ラオス人民がメコン川の両岸で流した独立の血
- 青(中央、広め):メコン川、繁栄、天然資源
- 白い円:満月、ラオス民族の団結、メコン川に映る月
社会主義の赤、メコン川の青、満月の白という、自然とイデオロギーを融合した珍しいデザインです。
「社会主義旗のなかで唯一、星なし」
ここでは、ラオス国旗の世界的な特徴を見ていきます。
社会主義国家の星
ほとんどの社会主義国家は、赤い星を国旗に使います。ベトナムは赤地に黄星、中国は赤地に5つの黄星、北朝鮮は青赤白に赤星、キューバは青白赤に星、といった具合です。
ラオスは「満月」
しかしラオスは、星ではなく白い円を用います。これは「満月」を象徴するもので、社会主義国家のなかでは珍しく星を使わない例です。自然と民族文化を優先した結果だと言えます。
社会主義のイデオロギーよりも、メコン川と満月という自然をシンボルにする。そこにラオス国旗の独自性があります。
「日の丸との類似」?
ラオス国旗の中央にある白い円は、日の丸・バングラデシュ・パラオの「丸い旗3部作」の親戚とも言えます。もっとも、背景の色は違い(ラオスは赤青赤)、円の意味も違います(ラオスは満月)。そのため「4番目の丸い旗」として、世界の国旗マニアの議論にのぼることもあります。
国旗に円を描いた、世界で稀な国の1つ。それがラオスです。
1945-1975年 ── パテト・ラオの旗
ここからは、ラオス国旗の起源をたどります。
1945年、最初の使用
この旗が初めて使われたのは1945年、ラオ・イサラ(自由ラオ)政府によってでした。第二次大戦終結直後、日本軍の撤退とともに独立を宣言したときのことです。デザインを手がけたのは、ラオスの作家・歴史家マハー・シーラ・ウィーラウォン(Maha Sila Viravong)でした。しかしフランスが再び支配し、ラオ・イサラは亡命に追い込まれます。
パテト・ラオの旗
1950年代に入ると、共産主義組織パテト・ラオ(ラオ祖国戦線)が、ラオ・イサラの旗を継承します。対フランス独立戦争、ベトナム戦争中の対米抵抗、そして長期にわたるゲリラ戦のなかで、この旗は掲げ続けられました。
1975年12月2日、革命と新国旗
そして1975年12月2日、パテト・ラオが革命を成し遂げます。ラオス王国(ルアン・プラバン王朝)が廃止され、サワーン・ワッタナー国王が退位し、ラオス人民民主共和国が成立しました。このとき、パテト・ラオの旗がそのまま国旗となります。
ラオ・イサラからパテト・ラオ、そしてラオス人民民主共和国へ。30年にわたる継承の物語です。
マハー・シーラ・ウィーラウォン ── デザイナー
ラオス国旗をデザインしたのは、マハー・シーラ・ウィーラウォン(Maha Sila Viravong、1905-1987)です。
「ラオスの国民的知識人」
ウィーラウォンは、20世紀ラオスを代表する知識人でした。作家・歴史家・言語学者として、ラオス語の標準化に貢献し、ラオス文学史の権威でもありました。
1945年、国旗デザイン
ウィーラウォンが国旗をデザインしたのは、1945年のラオ・イサラ時代でした。メコン川を青、独立の血を赤、満月を白で表し、「ラオス国民の団結」を込めたものです。
1人の知識人が、30年後に国旗となるデザインを考案した。これは、アメリカのボブ・ヘフト(50星旗)、ナイジェリアのアキンクンミなどと並ぶ、若い時のデザインが歴史的になった例です。
「メコン川と満月」 ── 文化的シンボリズム
ここでは、ラオス国旗の深いシンボリズムを見ていきます。
メコン川
メコン川は、東南アジアの母なる川です。チベット高原に発し、中国、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを経て南シナ海へと注ぎます。全長は約4,350kmで、世界第12位の長さです。ラオスを縦断する国土の生命線であり、ラオスの経済・文化・農業の中心でもあります。
ラオスはメコン川の国である。それが文化的アイデンティティの核にあります。
「メコン川の両岸」
国旗には、もうひとつの解釈があります。赤い2本の帯を、メコン川の両岸(ラオス側とタイ東北部のイサーン地方)と見る読み方です。「ラオス民族はメコン川の両岸に住む」、そして「いつか統合する」という願いが込められているとされます。
実際、タイ東北部(イサーン)は、民族的にラオス人と同じです。約2,000万人のイサーン人がラオ族であり、言語もラオス語に近いものの、政治的にはタイ領にあります。
国旗の赤は、メコン川の両岸に暮らすラオ人民の血であり、いつか統合するという夢でもある。現実には実現しない統合の理想がそこにあります。
満月
中央の白い満月は、ラオス民族の団結を表します。「メコン川に映る満月」という詩的なイメージであると同時に、仏教の満月信仰とも結びついています。ラオスでは、重要な仏教祝日が満月の日に重なります。
満月はラオス仏教文化の核心であり、ラオス国民にとって深い意味を持つものです。
ラオスという国
ラオスの基本情報です。
- 正式名:ラオス人民民主共和国(Lao People's Democratic Republic)
- 首都:ヴィエンチャン(Vientiane)
- 面積:約23.7万km²
- 人口:約750万人
- 公用語:ラオス語
- 宗教:上座部仏教(約66%)、アニミズム(約30%)
「東南アジア唯一の内陸国」
ラオスは、東南アジアで唯一の内陸国です。海に面しておらず、中国・ベトナム・カンボジア・タイ・ミャンマーの5カ国に囲まれています。
「百万の象の国」
ラオスには、ラーンサーン(Lan Xang、「百万の象」)という伝統的な異名があります。14世紀のラオス王国の名前で、その正式名は「百万の象と白い傘の国」というものでした。
「東南アジアで最も貧しい国のひとつ」
ラオスは、経済的に最貧国のひとつに数えられます。国民1人当たりGDPは約2,500ドルで、後発開発途上国(LDC)に分類されています。
しかし近年は、中国の影響で急速に変化しています。一帯一路の中継地として位置づけられ、2021年にはビエンチャンと中国の昆明(クンミン)を結ぶ中ラオ鉄道が開通しました。観光業も成長しています。
「ベトナム戦争の傷跡」
ラオスは、世界で最も悲しい記録のひとつを背負っています。1964年から1973年にかけて、アメリカはベトナム戦争中にラオスを爆撃しました。ベトコンの補給路であるホー・チ・ミン・ルートを狙ったものです。投下された爆弾は約200万トンにのぼり、人類史上最も激しく爆撃された国となりました。国民1人当たりの爆弾量は世界一です。今なお国土には推定8,000万発以上の不発弾(UXO)が残り、毎年死傷者が出ています。
国旗の赤は戦争の血であり、青のメコン川にも爆弾が落とされた。そんな重い歴史を持つ国旗です。
ちなみに:「ヴィエンチャン」
首都ヴィエンチャンの名前は、サンスクリット語に起源を持ちます。「Vieng」は要塞を、「Chan」はサンダルウッド(白檀)を意味し、「Vientiane」は「サンダルウッドの要塞」という意味になります。
東南アジアで最も発音が難しい首都名のひとつとして、ワガドゥグー(ブルキナファソ)と並んで挙げられることもあります。
まとめ:メコン川と満月、社会主義と自然
今回のラオス国旗のまとめです。
- 赤・青(広め)・赤の横三色+中央の白い円
- 1975年12月2日、ラオス人民民主共和国成立と同日に正式採択
- 起源は1945年、マハー・シーラ・ウィーラウォンがラオ・イサラ政府用にデザイン
- 1950年代以降、パテト・ラオ(共産党)の旗として継承
- 1975年12月2日、革命でラオス王国廃止、パテト・ラオ旗が国旗に
- 赤(上下)=メコン川の両岸で流された独立の血(ラオスとタイ・イサーンの両方)
- 青(広め)=メコン川、繁栄、天然資源
- 白い円=満月、ラオス民族の団結、メコン川に映る月
- 社会主義国家のなかで唯一、星を使わない国旗
- 東南アジア唯一の内陸国、5カ国に囲まれる
- 14世紀「ラーンサーン王国」=「百万の象の国」
- 1964-1973年、ベトナム戦争中にアメリカが約200万トンの爆弾投下
- 人類史上最も激しく爆撃された国、1人当たり爆弾量世界一
- 国土に推定8,000万発以上の不発弾が残る
- 国民1人当たりGDP約2,500ドル、東南アジア最貧国のひとつ
- 上座部仏教徒66%、満月は仏教文化の重要なシンボル
- 中ラオ鉄道(2021年)など中国の影響で経済発展
メコン川の青と、満月の白。ラオスの国旗は、社会主義と自然・伝統を融合した、世界の社会主義国旗のなかで最も詩的な1枚です。