赤・白・緑の横三色。ハンガリーの国旗は、中央ヨーロッパのマジャール民族の旗です。シンプルな三色旗ですが、1956年のハンガリー動乱で、国民が中央の共産主義のシンボルをハサミで切り取って革命旗にしたという、世界の国旗のなかで最も劇的な使用例があります。穴の空いた国旗が自由のシンボルになったという、20世紀の旗の物語のなかでも特に深い1枚。今回はそんなハンガリー国旗の話です。
まずは構成のおさらい
ハンガリー国旗の構成は、次のとおりです。
- 横3本の帯(上から):赤・白・緑
- 比率:1:2(横長)
色とシンボルの意味は、以下のとおりです。
- 赤:力、ハンガリー人が国のために流した血
- 白:忠実、国の河川(ドナウ川・ティサ川など)
- 緑:希望、ハンガリーの大平原と森林
シンプルな3色のなかに、ハンガリーの自然・歴史・理想が圧縮されています。ヨーロッパのトリコロール旗の典型的なパターンです。
「血・忠実・希望」の3色
ハンガリー国旗の3色の意味は、ハンガリーの詩人による解釈で広まりました。
「Erőt, hűséget, reményt」
ハンガリー語では「Erőt, hűséget, reményt」と表現されます。「Erőt(エルート)」が力(赤)、「Hűséget(ヒューシェーゲト)」が忠実(白)、「Reményt(レメーニュト)」が希望(緑)です。
詩のように響く三語のスローガンとして、ハンガリー国民の間で広く親しまれています。
紋章からの色
ハンガリー国旗の3色は、ハンガリー王国の紋章に由来します。赤は紋章の赤、白は紋章の銀色(白で表現される)の四重十字、緑は紋章の緑色の小山です。
これらはアールパード朝(ハンガリー建国王朝、12-13世紀)の時代まで遡る、極めて古い色の組み合わせです。
1848年4月11日 ── 公式採択
ハンガリー国旗は、1848年に正式に制定されました。
1848年革命
1848年革命は、ヨーロッパ全土を揺るがした自由主義革命でした。フランス・ドイツ・イタリア・オーストリアなど各地で同時に発生し、ハンガリーではハプスブルク帝国からの独立が求められました。
1848年3月15日、ペシュト革命
1848年3月15日、ハンガリーの首都ペシュト(後のブダペスト)で革命が勃発します。詩人ペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)が「民族の歌」を朗読し、「起て、マジャール人よ、祖国の呼びかけだ」と訴えました。このとき、赤・白・緑の旗が革命の象徴となります。
1848年4月11日、「国色」として法的根拠
そして1848年4月11日、いわゆる「4月法」第21条によって、赤・白・緑がハンガリーの正式な国色(National colors)として法的に位置づけられました。300年以上に及んだハプスブルク統治下では、ハンガリー独自の色は表に出しにくかったのですが、革命によって3色が法的根拠を得て、国民の旗として広く使われるようになります。なお、国旗の正確な比率やデザイン規定は、近代(1957年や2011年憲法)になってから厳密化されました。
3月15日(ハンガリー革命記念日)は今もハンガリー最大の祝日で、国旗が全国で掲揚されます。
1849年、独立戦争の敗北
しかし、ハンガリーの独立はすぐには実現しませんでした。
独立戦争
1848年から1849年にかけて、ハンガリー独立戦争が戦われました。指導者はコシュート・ラヨシュ(Lajos Kossuth、1802-1894)で、革命派は一時的にハンガリー独立を宣言します。しかしオーストリアとロシアの連合軍がこれを鎮圧し、1849年8月、革命軍は降伏しました。
「コシュートの紋章」
独立戦争中、コシュートはハンガリー王冠を外した「小紋章」を国旗中央に配置しました。王冠なしの紋章は、王制ではなく共和制を表すものです。これは「コシュートの紋章」として知られ、1918年までハンガリー王国紋章として継続しました。
1849年敗北後
革命の敗北によって、ハンガリーは再びハプスブルク統治下に置かれます。国旗は公式に禁止されることもありましたが、ハンガリー人の心の中で「自由の旗」として継承されていきました。
1956年 ── 「穴の空いた国旗」
ハンガリー国旗の最も有名な歴史的瞬間が、1956年のハンガリー動乱です。
ハンガリー動乱
1956年10月23日、ハンガリー動乱が勃発しました。ソ連に支配されたハンガリー人民共和国に対する民衆蜂起で、ブダペストを中心に全国で武装蜂起が起こり、自由と民主主義を求める革命となりました。
「ラーコシ紋章」を切り取る
当時のハンガリー国旗は、赤・白・緑の中央に共産主義のラーコシ紋章が描かれていました。赤い星にハンマーと麦穂を組み合わせたソ連支配の象徴で、1949年から使用されていたものです。
そして革命の最中、ハンガリー人民は中央のラーコシ紋章をハサミで切り取って革命旗を作りました。赤・白・緑の旗の中央に、ぽっかりと穴が空いた旗です。共産主義のシンボルを物理的に取り除いたこの旗は、革命の象徴としてブダペスト中で掲げられました。
革命の旗、ソ連戦車にも
驚くべきことに、革命派が一時的に押さえたソ連製戦車にも、穴の空いた国旗が描かれました。コシュート紋章(王冠なし)を戦車に白いペンキで描いたもので、ソ連の戦車がハンガリーの自由のシンボルを掲げるという、20世紀の革命画像のなかでも最もシンボリックなひとつとなりました。
1956年11月、ソ連の侵攻
しかし1956年11月4日、ソ連軍が大規模に侵攻します。革命は武力で鎮圧され、約2,500人のハンガリー人が死亡、約20万人が国外へ脱出しました。指導者ナジ・イムレ首相は、1958年に処刑されています。
穴の空いた国旗が自由の象徴として世界に広まったというのが、1956年動乱の遺産です。ハンガリー人にとって、現代でも国旗を見ると、この穴の記憶が呼び覚まされます。
1957年から、純粋な3色旗へ
1956年動乱の後、国旗のデザインも変化しました。
1956-57年、純粋な3色旗へ
1956年の動乱中、ナジ・イムレ首相の十日間政府は、すでにラーコシ紋章の廃止とコシュート紋章への差し替えを決定していました。動乱鎮圧後、1957年のカーダール政権による法改正で、紋章のない純粋な赤・白・緑の3色旗が公式国旗として確定します。以後、現代まで変更はありません。
革命派が物理的に取り除いたものを政府が公式に追認したという、革命の意思が公式国旗に反映された形になりました。
1989年、共産主義崩壊
1989年に共産主義体制が崩壊し、ハンガリー共和国が成立します。国旗のデザインは変更されず、そのまま継承されました。1957年の純粋な3色旗が、最終的に勝利したのです。
ハンガリーという国
ハンガリーの基本情報です。
- 正式名:ハンガリー(Magyarország、マジャールオルサーグ、「マジャール人の国」の意)
- 首都:ブダペスト(Budapest)
- 面積:約9.3万km²
- 人口:約970万人
- 公用語:ハンガリー語(マジャール語、ウラル語族)
- 宗教:ローマ・カトリック(約37%)、カルヴァン派(約12%)
「マジャール人の国」
国名のマジャールオルサーグ(Magyarország)は、「マジャール人の国」を意味します。マジャール人はハンガリー人の自称で、9世紀末に現在のハンガリーへ移住してきました。言語的にはフィンランドやエストニアと同じウラル語族で、ヨーロッパで数少ない非インド・ヨーロッパ語族国家のひとつです。
「中欧の珍しい言語」
ハンガリー語は、ヨーロッパで最も特異な言語のひとつです。周辺諸国の言語(ドイツ語・スロバキア語・ルーマニア語・クロアチア語など)とは全く別系統で、約1,000年前にウラル山脈方面から移住したマジャール人の言語です。同じ語族にはフィンランド語とエストニア語しかなく、しかも相互理解はできません。学習困難な言語として知られています。
「ブダペスト」 ── ドナウの真珠
首都ブダペストは、「ドナウ川の真珠」と呼ばれる美しい都市です。ドナウ川を挟んで西のブダと東のペシュトが、1873年に合併して生まれました。ブダ城・マチャーシュ教会・国会議事堂はいずれも世界遺産で、セーチェニ温泉やゲッレールト温泉に代表される温泉文化でも知られます。
「ヨーロッパで最も多くノーベル賞を生んだ国」
人口比で見ると、ハンガリーは世界で最も多くのノーベル賞受賞者を出した国のひとつです。物理学・化学・生理学医学で多数の受賞者を輩出し、20世紀前半にはハンガリー出身の科学者がアメリカに渡って活躍しました。マンハッタン計画の主要科学者の多くがハンガリー系で、テラー、ウィグナー、フォン・ノイマンなどがいます。
人口970万の小国が世界の科学を動かしてきたというのも、ハンガリーの興味深い側面です。
ちなみに:ハンガリー国旗と似ている国旗
ハンガリー国旗の赤・白・緑という組み合わせは、他の国旗にも見られます。
「赤・白・緑」の国旗ファミリー
| 国 | 構成 | 採用 |
|---|---|---|
| ハンガリー | 赤・白・緑の横三色 | 1848年 |
| ブルガリア | 白・緑・赤の横三色(順序違い) | 1879年 |
| イタリア | 緑・白・赤の縦三色 | 1797年 |
| メキシコ | 緑・白・赤の縦三色+国章 | 1821年 |
| イラン | 緑・白・赤の横三色+国章 | 1980年 |
赤・白・緑系の旗ファミリーとして、5カ国以上がこの色を共有しています。特にイタリアとは色構成が完全に一致し、向きだけが違うため、混同の原因になっています。
まとめ:穴の空いた国旗が、自由の象徴に
今回のハンガリー国旗のまとめです。
- 赤・白・緑の横三色(1:2)
- 1848年4月11日「4月法」第21条で赤・白・緑が「国色」として法的根拠を取得(厳密な国旗規定は近代以降)
- 1848年3月15日のペシュト革命がハンガリー革命記念日(現在も最大の祝日)
- 赤は力・血、白は忠実・河川、緑は希望・大平原(「Erőt, hűséget, reményt」)
- 色はハンガリー王国紋章とアールパード朝(12-13世紀)に由来
- 1848-1849年独立戦争でコシュート・ラヨシュが指導、敗北
- 1956年10月、ハンガリー動乱でラーコシ紋章を切り取った「穴の空いた国旗」が革命の象徴に
- ソ連製戦車にもコシュート紋章(王冠なし)が描かれた
- 1956年11月、ソ連軍侵攻で革命鎮圧、死者約2,500人
- 1956年動乱中にナジ政権が紋章廃止を決定、1957年カーダール政権の法改正で純粋な3色旗が公式確定
- 1989年共産主義崩壊後も同じ国旗を継承
- マジャール人の国、ウラル語族(フィンランド・エストニアと同じ系統)
- 首都ブダペストは「ドナウ川の真珠」
- 20世紀のノーベル賞受賞者を多数輩出(人口比で世界トップクラス)
- イタリア・メキシコ・ブルガリアと「赤・白・緑」系の国旗ファミリー
革命の最中、国民が物理的に切り取った穴が自由のシンボルになる。ハンガリーの国旗は、20世紀の自由と抵抗の物語を、3色の単純さに込めた1枚です。