緑・黄・赤の横三色。アフリカの国旗を見ているとよく見るこの組み合わせ、じつは「発祥の地」があります。それがエチオピアです。アフリカでほぼ唯一、本格的な植民地化を免れた国、その旗が、独立後のアフリカ各国の国旗に巨大な影響を与えました。今回はそんなエチオピア国旗の話です。


まずは構成のおさらい

エチオピア国旗の構成は、次のとおりです。

  • 横三色:上から緑・黄・赤
  • 中央:青い円のなかに黄色い五芒星(ペンタグラム)と、その周囲から伸びる光線

色の意味には、エチオピア独自の歴史的解釈と、近代の汎アフリカ的解釈の両方があります。緑は肥沃な大地、希望、自然の富を表し、黄はエチオピア正教会、平和、エチオピア人の調和を表し、赤は信仰、力、独立を守るために流された血を表します。

中央の五芒星(1996年に追加)は、「エチオピアを構成する諸民族の団結」を象徴し、光線は「すべてのエチオピア人の平等(人種・信仰・性別にかかわらず)」を表しています。


アドワの戦い ── 「植民地化されなかった国」の物語

エチオピア国旗の物語は、1896年のアドワの戦いを抜きには語れません。

19世紀末、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進んでいた時代です。当時のアフリカ大陸は、たった2つの国を除いて、ほぼすべてヨーロッパの植民地になっていました(残った2国は、エチオピアとリベリア)。

そんな中、イタリア王国がエチオピアを植民地化しようと侵攻してきました。

1896年3月1日、エチオピア北部のアドワで大規模な戦闘が発生します。メネリク2世皇帝率いるエチオピア軍は、重武装の近代イタリア軍を撃破しました。アフリカ人がヨーロッパ列強に対して大規模な軍事的勝利を収めた、史上最大の例となります。

この勝利によって、エチオピアは独立を維持しました。そして翌1897年10月11日、メネリク2世は勝利のシンボルとして、現代の国旗の原型である赤・黄・緑の横三色を正式に制定しました。

「植民地化されなかった国の旗」、これがエチオピア国旗のいちばんの背景です。

ちなみに1935年10月のイタリア再侵攻(第二次エチオピア戦争)から1941年5月まで、約5年間ファシスト・イタリアが軍事占領した時期はありますが、これは「植民地化」というよりは軍事占領期で、第二次大戦中に英連邦軍とエチオピア抵抗軍によって解放されました。500年にわたる近代植民地史のなかで、エチオピアの独立は揺るがなかった、という事実は揺らぎません。


「汎アフリカ色」のオリジン

エチオピア国旗の3色(緑・黄・赤)が世界史的に重要なのは、ここからです。

20世紀後半、アフリカ諸国が次々と独立していくなかで、多くの新国家が「エチオピアと同じ3色」を国旗に採用しました。理由はシンプルで、「エチオピアは、ヨーロッパに屈しなかった唯一のアフリカ国家。我々もその精神を受け継ぐ」という、ナショナルなメッセージを込めるためです。

独立国の国旗として最初にこの3色を採用したのが、1957年に独立したガーナでした(リベリアは1847年から独立していましたが、別の旗を採用していました。20世紀のアフリカ脱植民地化の波のなかで、ガーナが先陣を切ったかたちです)。デザイナーは美術家テオドシア・オコーで、エチオピアへの敬意を明示的に表明していました。

その後、セネガル(1960独立)、マリ(1960独立)、カメルーン(1960独立)、ギニア(1958独立)、コンゴ共和国(1960独立)、ブルキナファソ(1984再制定)、ベナン、トーゴなど、独立アフリカ諸国の多くが赤・黄・緑(または同色の組み合わせ)を採用しました。こうしてエチオピア国旗の3色は、いまや「汎アフリカ色」と呼ばれるようになりました。

1つの国の旗の色が、大陸全体のアイデンティティになる。これは世界の旗の歴史でもかなり珍しい現象です。


中央のエンブレムは、何度も入れ替わってきた

3色のベースはずっと変わらないエチオピア国旗ですが、中央のエンブレムは政治体制によって何度も入れ替わってきました。

1897-1974:ユダのライオン(皇帝の時代)

メネリク2世から、最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世まで、中央にはユダのライオン(聖書由来のシンボル、ソロモン王朝を象徴)が描かれていました。「皇帝はソロモン王とシバの女王の末裔」という伝説を、旗で示していたわけです。

1974-1987:デルグ政権(社会主義時代)

1974年に皇帝制が打倒され、軍事政権「デルグ」が成立します。中央は社会主義的なエンブレム(鋤・松明・盾など)に置き換えられました。ハイレ・セラシエはこの混乱の中で殺害され、ソロモン王朝3,000年の歴史が幕を閉じます。

1987-1996:エチオピア人民民主共和国時代

デルグ政権が共和制に移行し、また別の社会主義的エンブレムを採用しました。

1996-現在:青い円+黄色い五芒星

1991年にデルグが崩壊し、新政権が誕生します。1996年2月6日にいまの青い円+黄色い五芒星のデザインが採択されました(旗自体は同年10月31日に公式制定)。

五芒星は諸民族の団結、光線は全エチオピア人の平等を意味します。ソロモン王朝も社会主義も超えて、「多民族共存」をシンボル化した、というのが現代エチオピア国旗の立ち位置です。


ラスタファリ運動と「赤・黄・緑+黒」

エチオピア国旗にもう1つ重要な文脈を加えるなら、ラスタファリ運動です。

ジャマイカで20世紀初頭に始まったラスタファリ運動は、皇帝ハイレ・セラシエを救世主とみなし、エチオピアを「精神的な故郷」とする思想・宗教運動です。ボブ・マーリーのレゲエ音楽などを通じて、世界中に広まりました。

ラスタファリの旗色は、エチオピアの赤・黄・緑に黒を加えたものです。「黒」を加えたのは、米国黒人運動の指導者マーカス・ガーヴェイの影響と言われ、アフリカ系全体のアイデンティティを示します。

レゲエのレコードジャケットや、世界中の黒人文化の中で、エチオピア国旗由来のこの色は「ルーツへの帰還」のシンボルとして使われ続けています。


まとめ:「植民地化を免れた国」のシンボルが、大陸全体のシンボルになった

今回のエチオピア国旗のまとめです。

  • 緑・黄・赤の横三色+中央に青い円と黄色い五芒星
  • 緑=大地と希望、黄=平和と教会、赤=信仰と独立の血
  • 色はもとはエチオピア正教会の伝統色
  • 近代国旗化は1897年10月11日、1896年アドワの戦いで対イタリア勝利を背景にメネリク2世が制定
  • アフリカで唯一、本格的な植民地化を免れた国(イタリア軍事占領期1935-1941を除く)
  • 1957年のガーナ独立以降、多くのアフリカ独立国が「敬意の表れ」として同色を採用、「汎アフリカ色」と呼ばれる
  • 中央のエンブレムは時代ごとに変遷:ユダのライオン(皇帝時代)→社会主義紋章(デルグ時代)→五芒星(1996-現在)
  • ラスタファリ運動・レゲエ文化において精神的シンボル(黒を加えた4色構成)

1つの国の独立が、大陸全体の旗の色を決めた。エチオピアの旗は、アフリカという大陸の物語そのものを背負っている、特別な1枚です。