白地のなかに、キプロス島の輪郭、そして下に2本のオリーブの枝。自分の国土の地図が、そのまま国旗になっているという、世界の国旗のなかでも極めて珍しいデザインです。しかも島の色は銅(コッパー)で、これがキプロスという国の名前そのものに由来しています。今回はそんなキプロス国旗の話です。
まずは構成のおさらい
キプロス国旗はとてもシンプルで、白い背景の中央上部に銅色(コッパー・オレンジ)のキプロス島の輪郭を置き、その島の下に2本の交差したオリーブの枝を描いています。
色は2色だけで、文字も模様もありません。それでもこのシンプルなデザインに、ものすごく重い歴史と緻密な設計判断が込められています。
シンボルの意味は、次のとおりです。
- 白:平和、2つのコミュニティの調和
- 銅色の島:キプロスの古代から続く銅の歴史
- オリーブの枝(2本):ギリシャ系とトルコ系のキプロス人の平和共存
「キプロス」という名前は、銅から来ている
キプロス国旗のいちばん面白いところが、島の色が銅色であることです。
これはただの装飾色ではなく、「キプロス」という国名そのものが、銅と深い関係にあるのです。
古代から銅で有名な島
キプロスは地中海東部の島で、紀元前から世界有数の銅の産地として知られていました。紀元前3500年ごろから銅の採掘が行われ、古代の銅器時代・青銅器時代の中心地のひとつでした。黄銅鉱(カルコパイライト)という橙色の銅鉱石が大量に採れ、古代ギリシャ・ローマ・エジプトに銅を輸出していました。
国名の語源
ラテン語で銅は「Cuprum(クプルム)」といいます。これは英語の "Copper" の語源でもあり、「Cyprus」という国名そのものがラテン語の銅「Cuprum」から派生したと広く言われています(あるいは逆に、銅の語源がキプロスから来たとも言われます)。
つまり国旗の中央の銅色は、我々の国の名前は銅から来ている、だから国の地図を銅の色で描く、という、ものすごく根源的なメッセージを込めたデザインなのです。
自分の国名のルーツを、色で表す。これは世界の国旗のなかでも、かなり知的なデザイン判断です。
「自分の国土」が国旗になっている
世界の国旗を見渡すと、自国の地図が描かれている国旗は本当に少数派です。
主な例としては、島の輪郭を描いたキプロス、国土の輪郭と6つの星を描いたコソボ、地図が中央にあった昔のバージョンのバングラデシュ、州の輪郭を描いたオーストラリアのノーザン・テリトリーの旗、といったところです。世界に200近い国がありながら、自分の国土の形を国旗に描いているのは数か国だけです。
「国の形=国そのもの」というシンボルとして、もっとも直接的な自己表現。それがキプロス国旗です。
トルコ系の芸術家がデザインした
ここからがキプロス国旗の物語の核心です。
キプロスは1960年8月16日、チューリッヒ・ロンドン協定を経て、イギリスから独立しました。
このとき新国旗のデザインがコンテストで募集され、904件の応募作から1点を選ぶことになります。マカリオス3世大統領(ギリシャ系キプロス人)とファジル・キュチュク副大統領(トルコ系キプロス人)が共同で選定し、選ばれたのがイスメト・ギュネイ(İsmet Güney)の作品でした。
ギュネイはトルコ系キプロス人の美術教師です。ギリシャ系が多数派のキプロスで、独立を象徴する国旗をトルコ系の人物が設計したというのは、大きな意味を持つ選択でした。
民族の対立を、デザインで超える。その意思が、デザイナーの選定そのものに表れていたわけです。
キプロス国旗を縛った「3つの禁止事項」
そもそもキプロス国旗が「白地に島とオリーブ」というデザインになったのは、憲法上の厳格な制約があったからです。
キプロスは独立時、ギリシャ系キプロス人が約77%、トルコ系キプロス人が約18%、そのほかが約5%という、2大民族のうえに成り立つ国でした。ギリシャとトルコは長年の宿敵関係にあり、キプロスを巡って何度も対立してきました。新独立国の旗がどちらかの民族のシンボルを採用すると、もう一方が排除された感覚を持つ、という極めてデリケートな状況だったのです。
そこで新憲法は、国旗デザインに3つの制約を課しました。第一に青(ギリシャ国旗の色)を使ってはならないこと、第二に赤(トルコ国旗の色)を使ってはならないこと、第三に十字(キリスト教=ギリシャ系の宗教)や三日月(イスラム教=トルコ系の宗教)を使ってはならないこと、です。
2つの民族の象徴を、両方とも排除する。このラディカルな決定によって、中立性が憲法上の要件としてデザインに焼き付けられました。
その結果選ばれたのが、中立を表す白と島そのものを表す銅色という配色、そして特定の民族でなく国土全体を示す島の地図と、平和の普遍的象徴であるオリーブの枝というシンボルでした。
両方を傷つけない、両方とも自分のものと思える旗。それを徹底的に設計した結果生まれた1枚です。
オリーブの枝=平和の祈り
旗の下部に描かれた2本のオリーブの枝は、世界共通の平和のシンボルです。
旧約聖書のノアの方舟の物語で、洪水が引いた後にハトがオリーブの枝をくわえて戻ってくる。この場面から、オリーブの枝は平和の到来を象徴するようになりました。古代ギリシャではオリンピックの勝者にオリーブの冠が贈られ、現代も国連旗にオリーブの枝が描かれているなど、世界中で「平和」の代名詞として使われています。
キプロス国旗の場合、2本のオリーブの枝が、2つの民族(ギリシャ系・トルコ系)がともに平和に生きていく、という願いを直接表しています。
旗の理想と、現実のキプロス分断
キプロス国旗のデザイン思想は「2つの民族の調和」でしたが、現実の歴史は理想どおりにはいきませんでした。
1963-1964年には両民族の衝突が激化します。そして1974年、トルコ軍が島の北部に侵攻し、占領しました。以来現在まで、島の北側はトルコのみが承認する北キプロス・トルコ共和国、南側はキプロス共和国となり、実質的に分断状態が続いています。
キプロスの首都ニコシアは、世界で唯一いまも「分断都市」として、緩衝地帯で南北に分かれたままです。
国旗は1960年の独立時のものが今もキプロス共和国(南側)で使われていますが、「国土の輪郭」が示す一つのキプロスは、現実には実現していません。これがキプロスの抱える複雑さです。
旗は「ひとつの島」を示すけれど、現実は2つに分かれている。この乖離もまた、キプロス国旗を読み解くうえで知っておくべき背景です。
まとめ:中立を徹底的に設計した、平和の祈りの旗
今回のキプロス国旗のまとめです。
- 白地に銅色のキプロス島の輪郭、その下に2本のオリーブの枝
- 白は平和、銅色は古代から続く銅の産地としての歴史、オリーブの枝は2民族の共存を表す
- 国名「Cyprus」はラテン語の銅「Cuprum」に由来し、銅色は名前のルーツを表す
- 1960年8月16日、イギリスからの独立とともに採用
- デザイナーはトルコ系キプロス人の美術教師イスメト・ギュネイで、904件の応募から選定された
- 憲法による制約として、青(ギリシャ色)禁止、赤(トルコ色)禁止、十字・三日月禁止があった
- ギリシャ系・トルコ系の2つの民族の調和を、徹底的に設計したデザイン
- 1974年以降、実際には島は南北に分断されており、国旗の「ひとつの島」は理想にとどまる
民族対立を、デザインで超えようとした旗。キプロスの国旗は、シンボルでどこまで平和を表現できるかという、ひとつの実験だったと言える1枚です。