赤・白・青の横三色のなかに、赤と白の市松模様を中心に据えた紋章。クロアチアの国旗です。真ん中の市松模様は、独立後に新しく作ったものではなく、5世紀以上前から続く民族の象徴。しかも「チェスの勝負」で生まれた、という伝説まである——。今回はそんなクロアチア国旗の話です。
まずは構成のおさらい
クロアチア国旗の構成は、次のとおりです。
- 横三色(上から):赤・白・青
- 中央:クロアチアの国章(シャホヴニツァ=赤白の市松模様の盾と、その上に5つの小さな盾が並んだ冠)
色と紋章の意味は、次のとおりです。
- 赤・白・青の三色:汎スラブ色。クロアチアのスラブ系民族としてのアイデンティティ
- シャホヴニツァ:1,000年来のクロアチア王国の象徴
- 5つの小さな盾:クロアチアの5つの歴史的地域
汎スラブの色、クロアチア固有の市松模様、そして地域の象徴を1枚に重ねた、ものすごく情報密度の高い旗です。
市松模様「シャホヴニツァ」とは
クロアチア国旗の核心が、中央の紋章にあるシャホヴニツァ(Šahovnica)——赤と白の25マスの市松模様(5×5の格子)です。
「シャホヴニツァ」とは、クロアチア語で「チェス盤」を意味する言葉です(一般的なチェス盤は8×8の64マスですが、国章の盾には5×5の25マスで描かれます)。クロアチア人を象徴する世界でもっとも認識度の高いシンボルであり、国旗、国章、スポーツのユニフォーム(サッカー代表のあの赤白チェック柄)、政府の公式書類など、クロアチアのあらゆる場面に登場するアイデンティティそのものです。
歴史的起源
シャホヴニツァがクロアチアの公式紋章として確立されたのは、1527年のツェティン議会です。クロアチアがハプスブルク家の保護下に入った時の宣誓書類に捺された印章として使われた、というのが公式公文書としての確立例です。
現存最古の視覚的記録は、1495年にインスブルックの塔にマクシミリアン1世の紋章として描かれたシャホヴニツァ(および同時期のイタリア・ボルツァーノのドメニカン教会の例)です。さらにそれ以前からクロアチア王国の貴族のシンボルとして使われていた、という伝承もあり、500年以上の文書記録、伝承を含めればさらに古い民族紋章と言える存在です。
チェスの勝負で生まれた、という伝説
シャホヴニツァの起源について、ものすごく有名な伝説があります。
10世紀末、クロアチア王スチェパン・ドルジスラヴ(Stjepan Držislav、在位969-997頃)がヴェネツィア共和国との戦いで捕虜になりました。ヴェネツィアのドージェ(総督)ピエトロ2世オルセオロは、王を解放する条件として、「チェスで3番勝負だ。お前が勝ったら解放する」と提案します。
ドルジスラフ王は、3戦すべてに勝利。約束通り解放され、クロアチアに戻った王は、この勝利を記念して「チェスの盤」を紋章に採用した、と伝えられています。王がチェスで自分の自由を勝ち取った——とにかく印象的な物語で、クロアチアでは小学生も知っている話です。
ただし、史実としては確認できない伝説です。記録に残っているのは何世紀も後のことで、ロマンチックな起源譚として語り継がれてきたもの、と研究者の間では扱われています。いわゆる「諸説あり」の典型例です。
真偽はともかく、1,000年語り継がれてきた——というそれ自体が、シャホヴニツァのクロアチア民族にとっての重みを物語っています。
5つの小さな盾は、5つの歴史的地域
国章の上部、市松模様の盾の上には、5つの小さな盾が冠のように並んでいます。それぞれがクロアチアを構成する5つの歴史的地域を表しています。
| 盾のシンボル | 地域 |
|---|---|
| 6芒星と三日月 | クロアチア(古来) |
| 白い背景に2本の赤い縞 | ドゥブロヴニク |
| 3つのライオン首 | ダルマチア |
| 金色の山羊 | イストリア |
| 走る黒いテン | スラヴォニア |
5つの地域は、それぞれ独自の歴史と文化を持っています。クロアチア本土はザグレブを中心とする内陸部、ダルマチアはアドリア海沿岸の歴史的領土、スラヴォニアは東部の平原地帯、イストリアは北西の半島、そしてドゥブロヴニクはかつてのラグーザ共和国です。
異なる5つの地域が、1つの国としてまとまっている——というメッセージが、冠のように並んだ5つの盾で表現されています。
「汎スラブ三色」のルーツ
クロアチア国旗の3色(赤・白・青)は、いわゆる汎スラブ色です。スラブ系民族の連帯を象徴する色として、19世紀のヨーロッパで広まりました。
汎スラブ色を採用している国は、次のとおりです。
- ロシア:白・青・赤
- セルビア:赤・青・白
- スロバキア:白・青・赤+紋章
- スロベニア:白・青・赤+紋章
- クロアチア:赤・白・青+紋章
- チェコ:白・赤+青三角
色の順序や配置は違いますが、「スラブ系として連帯する」意識が共通しています。
ただしクロアチアの場合、3色のルーツはもう少し具体的で、クロアチアを構成してきた3つの王国の色でもあります。赤・白はクロアチア王国、白・青はスラヴォニア王国、青・(黄)はダルマチア王国(一部)に由来します。3つの王国の色を、1つの旗にまとめた——とも読める設計です。
1990年12月21日、独立を前に蘇った旗
クロアチア国旗の現在の形が採用されたのは、1990年12月21日。独立宣言(1991年6月25日)の約半年前でした。
それ以前のクロアチアは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部としてのクロアチア社会主義共和国(1945-1990)。当時の旗は赤・白・青の三色(同じ)で、中央に黄色い縁取りの赤い五芒星(共産主義の象徴)が置かれていました。
1980年代後半、ユーゴスラビア全体で民族主義の高まりが起こり、1990年5月に複数政党制での自由選挙を実施。クロアチア民主同盟(HDZ)が勝利し、新政権は共産主義の星を取り除き、伝統的なクロアチアの紋章に戻すことを決定します。そして1990年12月21日、新憲法とともに新国旗を採択——シャホヴニツァが、半世紀ぶりに国の旗の真ん中に蘇ったわけです。
その翌1991年6月25日、クロアチアは独立を宣言。直後にクロアチア独立戦争(1991-1995)が始まりますが、この激しい4年間、新しい国旗のもとで戦いが続けられました。
サッカー代表のユニフォームも市松模様
クロアチアといえば、サッカーのクロアチア代表を思い浮かべる人も多いはず。彼らのユニフォームは、赤白の市松模様です。
これは国旗の中央のシャホヴニツァそのまま。国の旗のデザインが、そのままスポーツチームのユニフォームになっている——国民的アイデンティティの一体感として、世界的にも特徴的な例です。
2018年W杯で準優勝を果たしたときも、赤白の市松模様のユニフォームが世界中で見られました。国旗とユニフォームが完全に一致する数少ない国のひとつです。
まとめ:1,000年の市松模様が、独立とともに戻ってきた
今回のクロアチア国旗のまとめです。
- 赤・白・青の汎スラブ三色に、中央にクロアチア国章
- 国章の核心はシャホヴニツァ(25マスの赤白の市松模様)
- シャホヴニツァは1495年のインスブルック塔の紋章記録が現存最古、1527年のツェティン議会の印章で公文書化、伝承では10世紀のクロアチア王国まで遡るとも
- 「ドルジスラフ王がチェスでヴェネツィアのドージェに勝った」という伝説(諸説あり)
- 国章上部の5つの小盾:クロアチア・ドゥブロヴニク・ダルマチア・イストリア・スラヴォニアの5つの歴史的地域
- 三色(赤・白・青)はクロアチア王国・スラヴォニア王国・ダルマチア王国の伝統色であり汎スラブ色
- 1990年12月21日採択(共産主義時代の赤い星を市松模様に置き換え)
- 1991年6月25日に独立、その後クロアチア独立戦争(1991-1995)
- サッカー代表のユニフォームも同じ赤白市松
1,000年の市松模様が、独立とともに国の中心に戻った。クロアチアの旗は、民族の長い記憶と現代の独立を、ひとつの模様で結びつけた1枚です。