青・黄・赤の縦三色、チャドの国旗です。ヨーロッパのルーマニア国旗とほぼ完全に同じというのが、世界的に有名な話。しかもモルドバも加えると、3つの国がほぼ同じ旗を持っているという、世界の国旗のなかでも最も「区別がつかない問題」を持つ1枚です。国旗トラブルの王者としてのチャド国旗の物語、今回はそんなお話です。


まずは構成のおさらい

チャド国旗の構成は、次のとおりです。

  • 縦3本の帯:左から青・黄・赤

色の意味は、次のとおりです。

  • :空、希望、国土南部の植生(サヘル地帯の水)
  • :太陽、鉱物資源、国土北部のサハラ砂漠
  • :進歩、統一、独立闘争の犠牲

国土の地理を3色で南から北へ並べた、という解釈も可能です。緑豊かな南部を青(水)で、中央のサヘルを黄で、砂漠の北部を赤で、というイメージです。


「世界一そっくりな2つの国旗」

チャド国旗の世界的な特徴が、ルーマニア国旗とほぼ完全に同じということです。

比較

チャドルーマニア
構成青・黄・赤の縦三色青・黄・赤の縦三色
色合い(青)やや濃い青やや明るいコバルトブルー
色合い(黄)やや金色寄りより鮮やかな黄
色合い(赤)やや暗めより明るい赤
採用1959年1848年

色合いの違いは存在するが、遠目では識別不能というのが現実です。国旗の世界で「世界一似た2つの旗」として有名です。

モルドバも入れて3つ

さらに、モルドバ国旗も同じ青・黄・赤です。モルドバは青・黄・赤の縦三色の中央に国章(牛の頭と星)を配したもので、モルドバはルーマニアと民族・言語がほぼ同じです。モルドバとルーマニアの旗の類似は、「歴史的な兄弟関係」によるものです。

つまり、チャド・ルーマニア・モルドバの3国の旗がほぼ同じなのです。チャドだけは無関係(アフリカ)で、ルーマニアとモルドバは民族的につながっています。

地球の反対側の国と同じ国旗を持つという珍しい事態が、現実になっているわけです。


なぜチャドは「青」になったのか?

チャドがわざわざヨーロッパの国旗と同じ色にしたわけではありません。実はもっと事情が複雑です。

1959年、当初の案は「緑・黄・赤」

1959年、フランスからの独立を控えたチャド政府は、汎アフリカ色(緑・黄・赤)の縦三色を国旗の最初の案として提案しました。旗竿側から緑、中央が黄、フライ側が赤という配置です。

これは、他のアフリカ独立国家と連帯する汎アフリカ色だ、というのが意図でした。

しかしマリと同じになる

ところが、この案を見て、隣国のマリから反対の声が上がります。マリの国旗は緑・黄・赤の縦三色だ、チャドが同じ旗を採用すると混同される、というのです。

実際、マリ国旗は1961年に緑・黄・赤の縦三色を採用しており、セネガル・ギニア・マリなどの汎アフリカ色グループに属していました。

せっかく独自の国旗を作るのに近隣の国とそっくりになるのは避けたい、という政治的判断で、チャド政府はデザインを変更することにしました。

「緑→青」への変更

そして、緑を青に置き換えることで、汎アフリカ色から脱却します。青は空・希望を表し、マリとの差別化を実現するものでした。

ところがこの結果、偶然、ヨーロッパのルーマニア国旗と完全一致してしまったわけです。

マリとの類似を避けたら、ルーマニアと一致したという、なかなか皮肉な顛末です。当時のチャド政府は、おそらくルーマニア国旗を意識していなかったのでしょう(情報の伝達が遅かった時代です)。


1959年11月6日、独立直前に採択

チャド国旗の正式採用は、1959年11月6日です。

独立への道

1958年、チャドがフランス共同体内自治領となります。そして1959年11月6日に新国旗を採択し、1960年8月11日に完全独立を果たしました。

独立の9ヶ月前に国旗を確定するという、計画的な準備でした。

「フランス三色旗の影響」

そして、青・黄・赤の組み合わせには、フランス三色旗(青・白・赤)の影響も指摘されています。チャドはフランス植民地時代が長く文化的に親仏で、フランスの色(青・白・赤)から白を黄に置換し、その「白→黄」の置換でアフリカ的な色彩を加えた、というのです。

汎アフリカ色(緑・黄・赤)でもなく、フランス色(青・白・赤)でもない、その中間という設計でした。そして偶然、これがルーマニア国旗と同じになった、というわけです。


ルーマニアの反応

ルーマニア国旗との完全一致が問題になり始めたのは、1989年のルーマニア革命以降です。

1989年、ルーマニア革命

1989年12月、ルーマニア革命でチャウシェスク政権が崩壊しました。このとき、旧国旗の中央にあった社会主義紋章(金色のトラクター・小麦・星など)が削除され、結果として「ただの青・黄・赤の縦三色」になります。

これにより、チャド国旗とほぼ完全に一致することになりました。

2004年、メディアでの論争

2004年、両国の国旗が完全に同じであることが国際的に話題になります。メディアやインターネット上で議論が広がり、ルーマニアのイオン・イリエスク大統領(当時)が公式声明を発表しました。我々の旗は1848年から続く独立と民主化の象徴であり、アフリカの新興国家のために変更することはない、という内容です。

こうしてルーマニア側が先手を打って、「我が国が先に使用していたため変更しない」と表明しました。チャド政府が公式に国連へ法的な抗議文を提出したという公的記録はなく、外交的な摩擦というよりはメディアでの論争にとどまった、というのが正確な経緯です。

ルーマニアは「先に使っていた」ことを根拠に変更しないと表明したという結末です。

結局、両国とも変更せず

国連の国旗登録基準においても問題がないことが再確認されたうえで、両国とも国旗を変更しないまま現在に至ります。国際大会では、両国の旗を並べて配置するときに細心の注意が払われますが、オリンピックやFIFAワールドカップなどで何度も混乱があり、「世界で最も似た2つの旗」として旗の世界で有名な問題になっています。

2つの国の旗がほぼ完全に同じまま、解決せずに共存しているという、世界の国旗の世界でも特異な状況です。


チャドという国

チャドは、世界でもっとも知られていない国のひとつかもしれません。基本情報は、次のとおりです。

  • 正式名:チャド共和国
  • 首都:ンジャメナ
  • 面積:約128万km²(日本の3.4倍)
  • 人口:約1,800万人
  • 公用語:フランス語、アラビア語
  • 地理:完全な内陸国(サブサハラ・アフリカの中央)

「アフリカの死せる中心」

チャドの地理的特徴を見ていきます。国土の北半分はサハラ砂漠、中央はサヘル地帯(半乾燥)、南部はサバンナと熱帯雨林です。

サハラから熱帯雨林まで1つの国にという、ものすごく多様な気候を持つ国です。

チャド湖の悲劇

国名の由来となったチャド湖は、1960年代まではアフリカ第4の湖でした。しかし、乾燥化と過剰取水で、現在の湖面積は1960年代の約10%にまで縮小しています。これは国境を接するニジェール・ナイジェリア・カメルーンを含めた地域生態系の危機であり、「気候変動の被害の象徴」として国際的に注目されています。

国名の湖が消えつつあるというのも、チャドの現代史の悲劇のひとつです。


ちなみに:「チャド」の名前

「チャド」という国名は、チャド湖から来ています。カヌリ語で「大きな水域」を意味する「Tsade」(Sadeとも綴る)を、ヨーロッパ人探検家が「Tchad(フランス語)」「Chad(英語)」と転写し、そのまま国名になりました。

湖の名前が国の名前になるというのは、世界の国名でも多いパターンです(ガンビア・セネガル・ザンビアなど)。


まとめ:マリを避けたら、ルーマニアと同じになった旗

今回のチャド国旗のまとめです。

  • 青・黄・赤の縦三色
  • 1959年11月6日採択、1960年8月11日にフランスから独立
  • 青は空・南部の水、黄は太陽・サハラ砂漠、赤は独立闘争・統一
  • 当初は緑・黄・赤の汎アフリカ色案だったが、マリ国旗と同じになるため緑を青に変更
  • 結果として偶然、ルーマニア国旗(1848年から)と完全一致
  • 「世界で最も似た2つの国旗」として有名
  • モルドバ国旗(青・黄・赤に紋章)も同系統で、3国でほぼ同じ
  • 2004年、両国の旗の同一性が国際的に話題に。チャドが公式に国連へ抗議したわけではなく、ルーマニア大統領が「変更しない」と表明する形でメディア論争にとどまり、両国とも現状維持
  • 国土はサハラ砂漠から熱帯雨林まで多様、チャド湖は現代に縮小が続く
  • 国名は「チャド湖」から、カヌリ語で「大きな水域」の意

1つの偶然から、世界最大級の国旗類似問題が生まれた。チャドの国旗は、国際社会の調整が及ばない領域を示す、ちょっと哀愁のある1枚です。