左上にユニオンジャック、左下に大きな星、右側に5つの星。オーストラリアの国旗です。ユニオンジャックと南十字星を組み合わせたこのデザイン、じつは32,823件の応募作のなかから5人の共同優勝者が選ばれ、そのうちの1人がなんと14歳の中学生だった、という痛快なエピソードを持っています。今回はそんなオーストラリア国旗の話。
まずは構成のおさらい
オーストラリア国旗は、青地に3つの要素が組み合わさっています。
- 左上(カントン):ユニオンジャック(イギリス国旗)
- 左下:大きな白い連邦の星(7稜の星)
- 右側:南十字星(5つの星)
ユニオンジャックは「イギリス連邦の一員」という出自、南十字星は「南半球の国」というアイデンティティ、連邦の星は「6つの州と領土の連合体」というメッセージ。1枚に3つの物語が詰まっています。
1901年、連邦結成と同時に国旗コンテスト
オーストラリア国旗の歴史は、1901年1月1日の連邦結成から始まります。
それまでオーストラリアは、6つのイギリス植民地(ニューサウスウェールズ・ヴィクトリア・クイーンズランド・南オーストラリア・西オーストラリア・タスマニア)に分かれていました。1901年、これらが連合してオーストラリア連邦を結成します。6つの州が1つの国になる、歴史的な瞬間でした。
新しい国には、新しい旗が必要です。1901年4月、エドマンド・バートン首相のもとで、国旗デザインコンテストを開催することが発表されました。
このコンテストがちょっと変わっていて、「政府の公募」と「Review of Reviews 誌の独自公募」が並行していたものを、途中で合体させて統一コンテストにする、というスタイルでした。
そして集まった応募は32,823件。当時のオーストラリアの人口(約380万人)の100人に1人近くが応募した計算で、国民的な盛り上がりだったわけです。
14歳の中学生が「共同優勝者」になった
コンテストの結果が、また面白い。32,823件のなかから、5人の応募者が「同じデザイン」を提出していたことが判明したんです。
5人とも別々の場所で、別々に考えて、似たようなデザインを出していた。これは個人の発想というより、オーストラリア人の集合的な発想だとして、5人全員を共同優勝者としました。
その5人の顔ぶれが、これまた多彩です。
- アイヴァー・エヴァンズ:メルボルンの14歳の中学生
- レスリー・ジョン・ホーキンス:シドニーの眼鏡店徒弟(10代)
- エグバート・ジョン・ナタル:メルボルンの建築家
- アニー・ドリントン:パースの女性芸術家
- ウィリアム・スティーヴンス:ニュージーランドの船員
14歳の少年、10代の徒弟、女性芸術家、そしてニュージーランド人まで。属性も国籍もばらばらの5人が同じデザインに辿り着いた、というのが面白いところです。
国旗が、特定の偉い人ではなく、市民の集合知から生まれた。そういう物語性が、このコンテストの大きな魅力です。
ちなみに初掲揚は1901年9月3日、メルボルンの王立展示館の屋上で行われました。この日が現在も「オーストラリア国旗の日(Australian National Flag Day)」になっています。
エドワード7世による国王承認の発表は1903年2月11日、コモンウェルス官報(Commonwealth Gazette)第8号での公式公表は1903年2月20日。少しタイムラグはありましたが、コンテストから2年弱で「国の旗」として完成しました。
「連邦の星」は最初6稜だった
国旗のなかでとくに目を引くのが、左下の大きな白い星、連邦の星(Commonwealth Star)です。
この星、7つの稜を持っているんですが、最初から7稜だったわけではないんです。
1901年の最初のデザインでは、稜は6つでした。6つの稜は、連邦結成時の6つの州、すなわちニューサウスウェールズ、ヴィクトリア、クイーンズランド、南オーストラリア、西オーストラリア、タスマニアを表していました。
ところが、その後オーストラリアはパプア準州などの領土(territory)を獲得していきます。1908年、「州(state)の数だけでなく、領土の代表も星に加えよう」となり、7つ目の稜が追加されました。
つまり、元々の6稜が6つの州、7番目の稜が全領土(および将来の州)を表しています。
国のかたちが変わるたびに、星の稜の数が変わる。稜の数で構造を語る、というのは、なかなかきめ細かいデザインです。
将来また州が増えても、星はずっと7稜のままというのもポイントで、領土が州に昇格したとしても、追加の稜は増えないことになっています。
「南十字星」が右側に5つ並ぶ
旗の右側の5つの星は、南十字星(Southern Cross)です。
南十字星は南半球からしか見えない有名な星座で、オーストラリアの夜空を象徴するアイコンです。北半球で「北極星」が方位の目印になっているのと同じく、南半球では南十字星が方角の目印・航海の指針として使われてきました。
オーストラリア国旗の南十字星は、実際の星座のように5つの主要な星で構成されています。さらに細かい話をすると、4つの大きな星は7稜、1つの小さな星は5稜になっています。
実際の星の明るさの違いをそのまま稜の数と大きさに反映させているわけです。現実の星座を、紋章学的にちゃんと表現している。細部の作り込みがとても丁寧です。
ちなみに南十字星は、ニュージーランド・パプアニューギニア・サモアなど、他の南半球の国の国旗にも描かれています。「南十字星クラブ」みたいなものが、世界の国旗にはあるわけです。
ユニオンジャックは残るのか?
オーストラリアの国旗で、ときどき議論になるのが「左上のユニオンジャック、いつか外すべきでは?」という話です。
オーストラリアは現在もイギリス連邦(コモンウェルス)の一員で、国家元首はイギリス国王(現在はチャールズ3世)。完全な独立共和国ではなく、立憲君主制を採用しています。
ただ近年、いっそ完全に独立した共和制になって、国旗からユニオンジャックを外そうという運動も続いています。1999年に共和制移行の国民投票が行われたものの、わずかの差で否決されました。共和制論議は今も続いており、もし将来オーストラリアが共和制に移行すれば、国旗からユニオンジャックが消える日もあり得ます。
国旗が、国のかたちを問うシンボルになっている。オーストラリアの旗には、そういう現在進行形の論点も込められているわけです。
まとめ:少年の発想が、国の象徴になった
今回のオーストラリア国旗のまとめです。
- 左上にユニオンジャック、左下に7稜の連邦の星、右側に南十字星(5つの星)
- 1901年1月1日の連邦結成にあわせてコンテスト開催、応募32,823件
- 5人の共同優勝者には、14歳の中学生アイヴァー・エヴァンズを含む幅広い顔ぶれが並び、しかも1人はニュージーランド人
- 初掲揚は1901年9月3日(メルボルン)、現在の「国旗の日」
- エドワード7世による承認発表は1903年2月11日、官報での公式公表は1903年2月20日
- 連邦の星は当初6稜(6つの州を表す)、1908年に7稜目(領土を表す)が追加
- 南十字星の4つは7稜、1つは5稜(実際の明るさの違いを反映)
- ユニオンジャックの今後をめぐる議論は現在も継続中
14歳の少年の発想が、120年後も国旗として現役。アメリカのボブ・ヘフト(17歳)、UAEの19歳デザイナーに続く、「10代の若者がデザインした国旗3部作」の1つで、オーストラリアはその筆頭格です。